Y-10 (航空機・日本)
概要
編集海軍航空廠(空廠)は1939年(昭和14年)頃に、長距離飛行の記録機Y-20(のちの銀河)や高高度記録機Y-30(のちの暁雲)と並ぶ、航空機技術の全面的な向上を目的とした試作機群のひとつとして[1]、高速実験機Y-10の開発を開始した[1][2]。その目標は、当時の航空機の速度世界記録を更新することだった[1]。
これは海軍実用機試製計画(実計)の一環として行われ[注 1][3]、三木忠直技官の主導のもとに計画が進められたが[2]、並行して行われていたY-20改め十五試双発陸上爆撃機の開発が本格化したことを受け[4]、十五試陸爆の開発に人員を集中させるために[2]、図面が作成されたのみの段階で[1]計画は中止された[1][4]。
脚注
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編集参考文献
編集関連項目
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