常如
江戸時代初期の浄土真宗の僧。東本願寺15代法主。琢如の長男
常如(じょうにょ)は、江戸時代初期の浄土真宗の僧。東本願寺第十五代法主[1] 。
常如 | |
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寛永18年5月4日 - 元禄7年5月22日 | |
幼名 | 茶々丸(ささまる) |
法名 | 常如 |
号 | 愚水 |
院号 | 泥洹院 |
諱 | 光晴 |
尊称 | 常如上人 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | (後の真宗大谷派) |
廟 | 大谷祖廟 |
生涯
編集本ページでは、年齢は、数え年。日付は、暦の正確性、著作との整合を保つため、貞享元年12月30日(1685年2月3日[2] )までは、宣明暦表示。 貞享2年1月1日(1685年2月4日)からは、貞享暦表示とする(生歿年月日を除く)。
寛永18年5月4日[3](1641年6月12日)、東本願寺第十四代 琢如[4]の長男として誕生。母は近衛信尋の娘。
寛文4年(1664年)12月、琢如の退隠により第十五代法主を継承する。
寛文7年(1667年)、本堂改築を発願。
- 寛文10年(1670年)、本堂落慶。
延宝7年(1679年)、法主を譲り退隠する。
元禄7年5月22日(1694年6月14日)、54歳にて示寂。
脚注
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