岩松 道純(いわまつ みちずみ、寛政9年12月14日1798年1月30日) - 嘉永7年7月20日1854年8月13日))は、江戸時代後期の交代寄合旗本岩松氏の当主。幼名は左男寿丸、通称は岩松満次郎、兵部、主税。上野国新田郡下田嶋領主・岩松徳純の長男。母は成瀬政成の娘。兄弟に立花義勝立花種福養子)、岩松義裕岩松俊英養子)、立花直顕立花種禄養子)、岩井義一岩井宅幸養子、のちに帰家)。

正室は中山主馬信泰の二女。子は新田俊純

上野新田郡(現 群馬県太田市細谷町)の冠稲荷神社に道純が描いた墨絵が残されている。

先代
岩松徳純
岩松氏歴代当主
次代
新田俊純