朝山東洋
朝山 東洋(あさやま とうよう、1976年7月29日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は、広島東洋カープの一軍打撃コーチ。
広島東洋カープ 打撃コーチ #83 | |
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2015年8月29日 阪神鳴尾浜球場にて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県久留米市 |
生年月日 | 1976年7月29日(48歳) |
身長 体重 |
182 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1994年 ドラフト3位 |
初出場 | 1999年4月4日 |
最終出場 | 2004年10月14日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集久留米商高等学校では甲子園出場はならなかったものの、3年夏の県大会でベスト8、高校通算29本塁打。1994年のドラフト3位で広島東洋カープに入団した。
広島時代
編集入団交渉の際、山本浩二が現役時代に着けた背番号「8」を希望した[1]が、「8」は永久欠番となっているために、スカウトから「無理な注文だ」として断られた。代わりに山本が監督時代に着けていた「88」を希望し[1]、1年間着用した。しかし翌1996年に当時二軍監督を務めていた安仁屋宗八が、背番号を「80」から山本の監督就任前まで着用していた「88」に戻すことになったため、「38」に変更した。
入団当時はその走攻守三拍子揃った高い野球センスと、本人が座右の銘にしている「我が道をゆく」に代表される独特の野球理論から、「前田2世」と呼ばれた
1999年に一軍デビュー。
2000年には、プロ入り初本塁打を含む5本塁打の活躍を見せた。
2001年のオープン戦では、対読売ジャイアンツ初戦で1本塁打を含む2安打を放つなどアピールするが、シーズン開幕後に怪我を負い、チャンスをものにできなかった。
2004年シーズン終了後に現役を引退。
引退後
編集広島の三軍野手コーチ、二軍打撃コーチ、三軍総合コーチ、二軍外野守備走塁兼打撃コーチ補佐を経て、2010年より二軍打撃コーチを務めた。2020年シーズンからは一軍打撃コーチを務める[2]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1999 | 広島 | 25 | 12 | 12 | 6 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .333 | .333 | .417 | .750 |
2000 | 58 | 108 | 102 | 17 | 25 | 5 | 1 | 5 | 47 | 17 | 3 | 1 | 2 | 1 | 3 | 0 | 0 | 14 | 1 | .245 | .264 | .461 | .725 | |
2001 | 5 | 5 | 5 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .400 | .400 | .400 | .800 | |
2002 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2003 | 39 | 69 | 62 | 7 | 14 | 1 | 1 | 3 | 26 | 4 | 1 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 1 | 21 | 2 | .226 | .273 | .419 | .692 | |
2004 | 23 | 42 | 41 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 6 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 14 | 2 | .098 | .119 | .146 | .265 | |
通算:6年 | 152 | 238 | 224 | 32 | 49 | 7 | 3 | 8 | 86 | 25 | 6 | 1 | 5 | 1 | 6 | 0 | 2 | 55 | 5 | .219 | .245 | .384 | .629 |
年度別守備成績
編集年 度 |
球 団 |
外野 | |||||
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試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
1999 | 広島 | 21 | 9 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2000 | 48 | 51 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2001 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2003 | 20 | 15 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2004 | 13 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 106 | 85 | 3 | 0 | 0 | 1.000 |
表彰
編集- ジュニアオールスターMVP(1996年)
記録
編集- 初記録
- 初出場:1999年4月4日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤドーム)、6回表に前田智徳の代走で出場
- 初打席:同上、8回表に中山裕章から右飛
- 初盗塁:1999年4月8日、対阪神タイガース3回戦(広島市民球場)、7回裏に二盗(投手:山﨑一玄、捕手:矢野輝弘)
- 初安打:1999年4月14日、対読売ジャイアンツ2回戦(東京ドーム)、10回表に三澤興一から遊撃内野安打
- 初先発出場:2000年5月3日、対ヤクルトスワローズ5回戦(広島市民球場)、8番・中堅手で先発出場
- 初本塁打・初打点:同上、5回裏に石井弘寿から左越逆転2ラン
背番号
編集- 88(1995年)
- 38(1996年 - 2004年)
- 83(2005年 - )
脚注
編集- ^ a b “【カープの名スカウトの証言 朝山東洋】「“物おじしない強気な選手だ”という印象を受けました」。異色の“背番号88のルーキー”誕生秘話”. 広島アスリートマガジンWEB (2020年11月8日). 2021年9月13日閲覧。
- ^ “佐々岡鯉 決定!V奪回スタッフ 打撃復活へ“再生人”朝山打撃コーチ昇格!”. デイリースポーツonline. デイリースポーツ (2019年10月30日). 2020年2月29日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 朝山東洋 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube