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北畠親成
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北畠 親成
(きたばたけ ちかなり)は、
戦国時代
の
武将
。
凡例
北畠親成
時代
戦国時代
生誕
永禄
3年(
1560年
)
死没
天正
4年
11月25日
(
1576年
12月15日
)
戒名
正楽院玄祐紫雲大居士
官位
式部少輔
氏族
村上源氏
中院家
流、
北畠家
父母
父:
北畠具教
兄弟
北畠具房
、
長野具藤
、
北畠親成
女(
織田信雄
室:雪姫)、女(
不破直光
室)
徳松丸、亀松丸
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生涯
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永禄
3年(
1560年
)、
伊勢
北畠氏
第8代当主・
北畠具教
の子として誕生。
北畠家が
尾張国
の
織田信長
の侵攻に屈伏し、信長の次男・茶筅丸(
織田信雄
)を養子に迎えることになった際、強硬に反対したと伝わる。このため、反織田勢力のひとりと見なされた。
天正
4年(
1576年
)11月25日に父・具教が信長・信雄らの命令によって
三瀬の変
で暗殺された際、兄・
長野具藤
と共に
田丸城
において
土方雄久
・
津川義冬
らに殺害された。
なお、親成に関しては具教の実子ではなく、
土岐氏
からの養子とする説もあり、その史料が乏しいために詳しい事績は不明である。