ムーサーMūsā Khān, ? - 1337年)は、イルハン朝の第11代君主(在位:1336年 - 1337年)。イルハン朝第6代君主バイドゥの子アリーの息子。ペルシア語資料ではムーサー・ハン(موسى خان Mūsā Khān)と呼ばれる。

ムーサー
موسى خان
イルハン朝第11代君主
在位 1336年 - 1337年

死去 1337年
王朝 イルハン朝
父親 アリー(バイドゥの子)
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生涯

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第10代君主のアルパ・ケウンが恐怖政治を行い、アルパの即位に反対するオイラト部族のアリー・パーディシャーによって、1336年に擁立された。アルパが処刑された後単独のハンとなるが、他の傍流一族であるムハンマドフレグの十一男モンケ・テムルの玄孫)をハンに擁するタージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ(大ハサン)と戦ったが敗れ、後ろ盾のアリーが戦死する。大ハサンの即位の後に擁立されたトガ・テムルチンギス・カンの実弟・ジョチ・カサルの末裔にあたる)と同盟、合流して大ハサンとの先頭に向かうが、マラーガで大ハサンの軍に遭遇すると、トガ・テムルは戦闘前に軍を連れて逃走した。ムーサーは部下のオイラト部族とともに抗戦するが戦死した。

参考文献

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先代
アルパ・ケウン
イルハン朝
1336年 - 1337年
次代
ムハンマド