加藤威
経歴・人物
編集鳥取県米子市出身[2]。加藤章の次男。家業は建設資材卸売業。
昭和35年(1960年)慶應義塾大学経済学部卒業、同年加藤豊吉商店勤務[2]。昭和39年(1964年)加藤商事専務取締役に就任(加藤豊吉商店を吸収合併)[2]。
昭和52年(1977年)山陰生コンクリート代表取締役社長、昭和55年(1980年)加藤商事代表取締役社長、昭和56年(1981年)白兎生コン代表取締役社長、昭和57年(1982年)赤碕生コン代表取締役社長に各々就任[2]。
家族
編集加藤家
編集(愛知県、鳥取県米子市茶町・米子市万能町・米子市明治町・米子市祇園町)
→詳細は「加藤章 § 家族・親族」を参照
著書
編集- 『父よ静かに眠れ』(山陰経済新聞社、平成7年刊行) - 父加藤章の生涯を回想した
脚注
編集参考文献
編集- 『鳥取県人名録』(企画・編集 鳥取県人名録刊行委員会 旬刊政経レポート、1987年 158頁)