中康(ちゅうこう)は、夏朝の第4代帝。の子。の父。

中康
第4代帝
王朝
都城 斟鄩(現在の二里頭遺跡、あるいは河南省芝田鎮稍柴村[1][2]
姓・諱 夏后中康
生年 不詳
没年 不詳
后妃 有鬲氏の女
※別に仲康とも書く

竹書紀年』によると、兄の太康が狩猟と酒に溺れ、諸侯の離散を招き、有窮氏后羿に斟鄩を追われて[3]洛水の南で亡くなったために、后羿がパトロンとなって即位した。

『竹書紀年』によれば中康5年(秋9月庚戌朔)、『通鑑前編』によれば中康元年に日食があり、羲氏と和氏が酒色に溺れたため、羲氏と和氏の職務である天文を廃し、を乱したので、胤(胤国の侯)がこれを攻めた[4]。なお、『書経』胤侯によると、羲氏和氏は夏に忠義があり、羿に対して不満を持っていたともされている。

関連項目

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脚注

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  1. ^ 晁福林『夏商西周的社会变迁』(北京師範大學出版社、1996年6月)
  2. ^ 譚其驤『简明中国历史地图集』(中國地圖出版社、1991年10月1日)
  3. ^ 『竹書紀年』羿入居斟鄩
  4. ^ 『竹書紀年』五年秋九月庚戌朔、日有食之。命胤侯師、師征羲和
先代
2代夏帝夏后啓
(簒位)后羿
帝室
4代
BC1890頃 - BC1880頃
次代
5代夏帝
夏后相