三潴末雄

日本の画廊経営者 (1946-)

三潴 末雄(みづま すえお、1946年1月7日 - )は東京都生まれの画廊経営者。ミヅマアートギャラリー代表。

経歴

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評論家の三潴末松の四男として西荻窪に生まれる[1]

東京都立杉並高等学校[2]を経て成城大学文芸学部に進み、在学中は学生闘争に参加[3]。学生時代は坂口安吾の息子(坂口綱男)の家庭教師をしていた[4]

大学卒業後、学生闘争の仲間の牧田吉明とともにライブスペース「ステーション'70」の共同支配人となる[5]1971年1月に「ステーション'70」の店舗が閉店すると、牧田の経営する編集プロダクションで海外向けPR誌『Σ』を手がけるようになり、この雑誌の制作を通じて本格的に美術の世界に接近していくようになる[6]

やがて1974年9月に牧田が大麻で逮捕されると1975年に編集プロダクションも閉鎖を余儀なくされ、1976年、みずからの会社「フロントオフィス」を設立、PR誌の仕事を継続[6]。海外の現代アートを表紙に起用していたことからコレクターの道に入り、黒田アキ神野公男から触発を受け、1989年西麻布で小画廊を開く[7]1994年青山にミヅマアートギャラリーを開廊。

2008年北京にMizuma & One Galleryを、2012年シンガポールにMizuma Galleryを開廊。

外部リンク

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脚注

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  1. ^ 三潴末雄『アートにとって価値とは何か』p53-56
  2. ^ https://twitter.com/mizumaart/status/25499512308
  3. ^ 三潴末雄『アートにとって価値とは何か』p62
  4. ^ https://twitter.com/mizumaart/status/17868547881
  5. ^ 三潴末雄『アートにとって価値とは何か』p77
  6. ^ a b 三潴末雄『アートにとって価値とは何か』p89
  7. ^ 三潴末雄『アートにとって価値とは何か』p90-95