渡辺 綱通(わたなべ つなみち)は、江戸時代中期の尾張藩士。渡辺半蔵家8代当主。

 
渡辺綱通
守綱寺所蔵
時代 江戸時代中期
生誕 元文元年6月4日1736年7月12日
死没 寛政12年2月12日1800年3月7日
別名 通称:半蔵
墓所 愛知県豊田市寺部町の守綱寺
官位 従五位下飛騨守
主君 徳川宗勝宗睦斉朝
尾張藩
氏族 三河渡辺氏
父母 父:渡辺綱保、母:竹腰正武
兄弟 綱敦綱通、箕田源之右衛門
正室:本多忠篤
渡辺規綱正室
養子:綱光松平乗穏三男)
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略歴

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元文元年(1736年)、三河寺部領主・渡辺綱保の子として誕生した。

宝暦4年(1754年)、父の死去により家督を相続、大寄合となる。安永5年(1777年)従五位下・飛騨守に叙任される。天明元年(1781年)、光格天皇即位式典の祝賀使を務める。天明2年(1782年)、三河奥殿藩3代藩主・松平乗穏の三男乗詮(綱光)を養子に迎える。

 
渡辺綱通の墓(豊田市守綱寺)

寛政12年(1800年)2月12日死去。享年65。家督は綱光が相続した。

出典

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  • 『渡辺半蔵家家譜』