パット・ホワイト(Pat White 1986年2月25日- )はアラバマ州ダフネ出身の元アメリカンフットボール選手・コーチ。また野球選手として、カンザスシティ・ロイヤルズ傘下のマイナーリーグチームにも所属していた。

パット・ホワイト
Pat White
ロサンゼルス・チャージャーズ
オフェンシブアシスタントコーチ
ポジション クォーターバック
生年月日 (1986-02-25) 1986年2月25日(38歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗アラバマ州ダフネ
身長: 6' 0" =約182.9cm
体重: 205 lb =約93kg
経歴
大学 ウェストバージニア大学
NFLドラフト 2009年 / 2巡目全体44位
初出場年 2009年
初出場チーム マイアミ・ドルフィンズ
所属歴
選手歴
2009 マイアミ・ドルフィンズ
2011* バージニア・デストロイヤーズ(UFL)
2013 ワシントン・レッドスキンズ
2014 エドモントン・エスキモーズ(CFL)
*オフシーズンまたはプラクティススクワッドとしての所属のみ
コーチ歴
2018-2019 アルコーン州立大学
2020 南フロリダ大学
2021 アラバマ州立大学
2022 - ロサンゼルス・チャージャーズ
NFL 通算成績
パス試投 5回
パス成功 0回
TD - INT 0 - 0
QB レーティング 39.6
ラン 21回
ラン獲得ヤード 81ヤード
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

経歴 編集

プロ入りまで 編集

高校時代には州の「ミスター・フットボール」投票で3位となったことがある。3年次には1905ヤードを走り、31タッチダウンをあげた。またパスでも1488ヤードを投げて15タッチダウンをあげている。野球でも投手と外野手を務めた。

彼はウェストバージニア大学オーバーン大学ケンタッキー大学ルイジアナ州立大学ミシシッピ州立大学ヴァンダービルト大学のいずれかへ進学することを望んだが、クォーターバックとしてのチャンスを彼に約束した唯一の大学、ウェストバージニア大学に入学した。

2004年のMLBドラフト4巡でアナハイム・エンゼルスから指名されていたが、カレッジフットボールを続けるためにこれを断っている。当初、アダム・ベドナリクと併用された。ベドナリクが負傷したルイビル大学戦では途中出場し、トリプルオーバータイムの末、46-44で勝利した。この試合ではチームメートのスティーブ・スレイトンビッグ・イースト・カンファレンス記録となる6タッチダウンをあげた。カンファレンスを制したチームはシュガーボウルへの出場権を獲得しジョージア大学と対戦した。試合はハリケーン・カトリーナの影響でルイジアナ・スーパードームが使用できなくなっていたため、敵地とも言えるジョージアドームで行われたが彼は77ヤードのラン、120ヤードのパスで1タッチダウンをあげ、チームは38-35で勝利した。この年彼は828ヤードを投げて8タッチダウン、952ヤードを走って9タッチダウンをあげた。

2006年、彼は1655ヤードを投げて13タッチダウン、1219ヤードを走り18タッチダウンをあげて、カンファレンスの最優秀攻撃選手に選ばれた。この年のピッツバーグ大学戦ではランで204ヤード、2タッチダウン、パスで220ヤード、2タッチダウンをあげた。同じ試合にラン、パスで200ヤード以上獲得したのはNCAA史上8人目のことであった。ジョージア工科大学とのゲイターボウルでは第3Q途中、18点リードを許したがその後21点を連取して38-35で逆転勝利し彼がMVPに選ばれた[1]。これらの活躍で、2007年5月8日、アラバマ州の最優秀アスリートに選ばれた。

2007年勝てばボウル・チャンピオンシップ・シリーズ出場となるピッツバーグ大学戦で親指を負傷し、試合の大部分を欠場、ファンブルやFG失敗などミスが相次ぎ、第4Qに敵陣へ2度ボールを進めた際に試合に復帰したが、いずれも4ダウンギャンブルに失敗、試合に敗れた。チームはフィエスタボウルに出場、オクラホマ大学と対戦し、彼は176ヤードを投げて2タッチダウン、150ヤードを走り、48-28で勝利した。

2008年のヴィラノヴァ大学との開幕戦ではパス33本中25本を成功、208ヤードを投げて、自己ベストの5タッチダウンをあげた。これはマーク・バルジャーが1998年に作った6タッチダウンに次ぐ大学史上2位タイの記録であった。この年、ルイビル大学戦でブラッド・スミスが持っていたNCAA1部校のQBのラッシング記録を更新した。また同じく10年前にドノバン・マクナブが作ったカンファレンス記録である通算96タッチダウンを更新する98タッチダウンをあげた[2]。Meineke Car Care Bowlで、ノースカロライナ大学を破り4年連続でボウルゲームに勝利、3年連続MVPに選ばれた。この年彼は274本中180本を成功、1844ヤードを投げて21タッチダウン、7インターセプト、ラン180回で974ヤードを走り8タッチダウンをあげた。

大学4年間で、パスでは6051ヤードを投げて56タッチダウン、ランでは4480ヤードを走り、47タッチダウンの数字を残した。またNCAA史上6位となる34勝をあげた[3]。こうした活躍を見せたものの、彼はオールアメリカンには選ばれなかった。またカレッジフットボール殿堂の対象となっていない。

ドラフト前に彼はシニアボウルに招待されてMVPを獲得した[4][5]NFLネットワークマイク・メイヨック英語版は彼のドラフト2巡目の指名を予想した。またESPNメル・カイパー英語版は彼をこの年5番目に評価の高いQBとした[6]

マイアミ・ドルフィンズ 編集

マイアミ・ドルフィンズから2009年のNFLドラフト2巡目で指名された。彼を指名した後、ドルフィンズのゼネラルマネージャージェフ・アイルランドは彼をチャド・ペニントンチャド・ヘニーと先発の座を争わせること、彼のスピードを生かし、ワイルドキャット隊形での起用をしたい考えを示した。8月1日、4年間450万ドル(240万ドルの保障つき)で契約を結んだ。プレシーズン第1週のジャクソンビル・ジャガーズ戦ではパス7本中2本成功、14ヤードの獲得、1インターセプト、6回のランで20ヤードの獲得であった。プレシーズン第2週のカロライナ・パンサーズ戦ではラン7回31ヤード、レシーブ3回で43ヤード、1タッチダウンをあげた[7]。第9週のニューイングランド・ペイトリオッツ戦ではオプションプレーで33ヤードを獲得した。12月21日の試合で3回のパスを投げたがいずれも不成功、ランで54ヤードを走った。翌年1月3日のピッツバーグ・スティーラーズ戦で相手守備選手のアイク・テイラーとヘルメット同士がぶつかり合うヒットを受けて、意識不明となりフィールドの外へ運ばれて病院に送られたが翌日に退院した。このシーズン、ワイルドキャット隊形でのプレーで、13試合に出場したもののパス5本中1本も成功させることができなかった。ランでは21回のキャリーで81ヤードを走った[8]

2010年9月4日、チームよりカットされた。

その後 編集

ドルフィンズをカットされた直後の9月10日、カンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結び[9][10]、秋の教育リーグに参加したが2011年3月9日、野球からの引退を表明した[11]

2011年6月28日、ユナイテッド・フットボール・リーグ英語版(UFL)のバージニア・デストロイヤーズ英語版と契約を結んだ[12]

2013年4月、ワシントン・レッドスキンズと契約を結んだ[8]。9月14日、レッドスキンズからウェーバーされた[13]

2014年3月27日にCFLエドモントン・エスキモーズと契約した[14]。 2015年3月20日に引退を表明した[15]

引退後は2018年4月18日にアルコーン州立大学アメリカンフットボール部のQBコーチに就任し、[16] 2020年1月2日に南フロリダ大学アメリカンフットボール部のランニングバックコーチに就任した[17]。しかし1年で退任した[18]。2021年はアラバマ州立大学のQBコーチを務めた。2022年からはロサンゼルス・チャージャーズのオフェンシブアシスタントを務める[19]

人物 編集

これまでにMLBドラフトで4回指名を受けており(エンゼルスから2回、シンシナティ・レッズから1回、ニューヨーク・ヤンキースから1回[20])、2009年にはニューヨーク・ヤンキースから指名された[9]

2011年、ホワイトがドラフト指名を受けた当時、マイアミ・ドルフィンズのフットボール部門副代表だったビル・パーセルズは彼を指名したことは失敗だったと述べた[21]

脚注 編集

  1. ^ Slaton not effective, but West Virginia rebounds for Gator Bowl victory”. ESPN (2007年1月1日). 2011年8月2日閲覧。
  2. ^ Louisville Notebook”. WEST VIRGINIA MOUNTAINEERS (2008年11月22日). 2011年8月2日閲覧。
  3. ^ A Passing Fancy”. WEST VIRGINIA MOUNTAINEERS (2008年12月29日). 2011年8月2日閲覧。
  4. ^ NFL候補生たちが輝いたシニアボウル、ジャガーズHCも感銘”. NFL JAPAN (2009年1月26日). 2011年8月2日閲覧。
  5. ^ NFLに戦術革命を起こすか、“ワイルド・パット”に要注目”. NFL JAPAN (2009年5月30日). 2011年8月2日閲覧。
  6. ^ Top 5 by position”. ESPN (2009年1月21日). 2011年8月2日閲覧。
  7. ^ ドルフィンズのワイルドキャットは今季も健在!”. NFL JAPAN (2009年8月23日). 2011年8月2日閲覧。
  8. ^ a b Rex Grossman, Pat White have deals”. ESPN (2013年4月3日). 2013年4月14日閲覧。
  9. ^ a b ドルフィンズ解雇のQBホワイト、MLBロイヤルズとマイナー契約”. NFL JAPAN (2010年9月11日). 2011年8月2日閲覧。
  10. ^ Royals sign ex-Dolphins QB Pat White”. FOXスポーツ (2010年9月10日). 2011年8月2日閲覧。
  11. ^ 元ドルフィンズQBホワイト、野球での再起ならず”. NFL JAPAN (2011年3月10日). 2011年8月2日閲覧。
  12. ^ 元ドルフィンズQBホワイト、UFLで再起へ”. NFL JAPAN (2011年6月17日). 2011年8月2日閲覧。
  13. ^ Brian Tinsman (2013年9月14日). “Redskins Waive Pat White, Sign Potter”. redskins.com. 2013年9月24日閲覧。
  14. ^ Archived copy”. 2014年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月27日閲覧。
  15. ^ Eskimos QB White retires”. TSN. The Canadian Press. 2021年1月19日閲覧。
  16. ^ Vingle, Mitch (2018年4月18日). “Alcorn State football officially tabs former WVU star Pat White as QB coach”. Charleston Gazette. https://www.wvgazettemail.com/sports/wvu/alcorn-state-football-officially-tabs-former-wvu-star-pat-white/article_b13448a3-ad20-5a2d-8966-ff639947e420.html 2018年4月20日閲覧。 
  17. ^ Hickey, Alex (2020年1月2日). “Former WVU star Pat White named to South Florida coaching staff”. wvmetronews.com. http://wvmetronews.com/2020/01/02/former-wvu-star-pat-white-named-to-south-florida-coaching-staff/ 2020年3月21日閲覧。 
  18. ^ Report: Pat White no longer with USF football”. 247Sports. 2021年2月8日閲覧。
  19. ^ Los Angeles Chargers Name Pat White Offensive Assistant”. Chargers.com (2022年7月25日). 2023年1月13日閲覧。
  20. ^ 生島淳 (2009年8月5日). ““140キロ”も投げられる秘密兵器 QBパット・ホワイト”. NFL JAPAN. 2011年8月2日閲覧。
  21. ^ パーセルズ氏、QBライアンの指名回避を後悔?”. NFL JAPAN (2011年4月14日). 2011年8月2日閲覧。

外部リンク 編集