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ジャクソンビル・ジャガーズ

ジャクソンビル・ジャガーズ英語: Jacksonville Jaguars、略称: JAC)は、アメリカ合衆国フロリダ州ジャクソンビルに本拠地をおくNFLチーム。AFC南地区に所属している(1995年から2001年まではAFC中地区の所属であった)。

ジャクソンビル・ジャガーズ
Jacksonville Jaguars
1993年創設
永久欠番
  • なし
ホームタウン
ジャクソンビル・ジャガーズの位置(アメリカ合衆国内)
ジャクソンビル・ジャガーズ

フロリダ州ジャクソンビル(1993-現在)

Superbowl XXXIX, 2005.JPG
エバーバンク・フィールド

所属地区

  • NFL(1993-現在)
  • AFC(1993-現在)
南地区(2002-現在)
中地区(1993-2001)
チームデザイン
チームカラー
     ティール
    
    
チームロゴ
ジャガーの頭部
獲得タイトル
スーパーボウル・チャンピオン (0回)
カンファレンス・チャンピオン (0回)
AFC
地区優勝 (3回)
AFC中地区
  • 1998
  • 1999
AFC南地区
  • 2017
ワイルドカード(4回)
  • 1996
  • 1997
  • 2005
  • 2007
プレーオフ進出(7/25回)
  • 1996
  • 1997
  • 1998
  • 1999
  • 2005
  • 2007
  • 2017
球団組織
オーナー: シャヒド・カーン
GM: デビッド・コールドウェル
ヘッドコーチ: ダグ・マローン

本拠地はセントジョンズ川近くのエバーバンク・フィールドカロライナ・パンサーズと共に1995年から加わったエクスパンションチームである。

目次

歴史編集

チーム創設まで編集

ジャクソンビルは毎年ゲイターボウルが開催される都市であった。同市のゲイター・ボウル・スタジアムをかつてワールド・フットボール・リーグのジャクソンビル・シャークス/エクスプレス、USFLのジャクソンビル・ブルズが本拠地にしたり、時折NFLのエキシビションゲームが行われてきた。また1967年、1968年にはAFLのオールスターが行われた。これまでにロバート・アーセイオーナーのボルチモア・コルツ1980年代終わりにはヒューストン・オイラーズを誘致する試みがなされた。

1992年、NFLは1976年以来となるエクスパンションチームを2チーム加えることを発表した。この時シャーロットセントルイスボルチモアメンフィス、ジャクソンビルの5都市が立候補した。当初シャーロットとセントルイスが有力しされ、続いてボルチモア、NFLチームがかつて存在したことのないメンフィスは厳しく、ジャクソンビルは最も選ばれる可能性が低いと見られていた。すでにフロリダ州にはマイアミ・ドルフィンズタンパベイ・バッカニアーズと2チームがありいずれも車で4時間ほどの距離にあった。またカレッジフットボールフロリダ州立大学フロリダ大学マイアミ大学ジョージア大学とも集客を争う必要があった。また5都市の中でジャクソンビルだけが全米でのテレビ市場ランキング50位以内に入っていない都市圏であった。当時ジャクソンビルは全米で15番目に人口の多い都市だったが郊外の地域の人口が少なかった。1990年にジャクソンビルの人口は635,000人ほどであったが大都市圏の人口はわずか90万人だった[1][2]。有利な点としてはNFLのアナウンスより前の1989年から誘致を目指すオーナーグループがしっかりしているという点だった。彼らの中には後にフロリダ州知事となるジェブ・ブッシュも含まれた。彼らは1991年にチームの愛称をジャガーズと決定、オーナーグループの筆頭にはウェイン・ウィーバーが就任した。1993年4月、NFLはフランチャイズに選ばれるためにはゲイター・ボウル・スタジアムの改修が必要だと市当局に示した[3]。同年11月1日、まずシャーロットがNFL29番目のフランチャイズとなることが発表され、続いて11月30日、有力視されていたセントルイスを抑えてジャクソンビルが30番目のフランチャイズとなることがNFLから発表された[3]。この決定に対して25,000人のファンがゲイターボウル・スタジアムに乗り出してお祝いし、シーズンチケットはわずか10日間で売り切れた。(なおこの時の争いに敗れた3都市には1995年にロサンゼルス・ラムズがセントルイスに移転、1996年にクリーブランド・ブラウンズボルチモア・レイブンズに衣替え[4]ヒューストン・オイラーズがメンフィスと同じテネシー州ナッシュビルに移転した。

1993年12月31日のゲイターボウル終了後、ゲイターボウル・スタジアムは取り壊され、そこに新スタジアムの建設が始まった。スタジアムの建設中の1994年ゲイターボウルはゲインズビルにあるベン・ヒル・グリフィン・スタジアムで行われた。ジャクソンビル・ミュニシパル・スタジアム(1997年から2006年まではアルテル・スタジアムと命名権売却により呼ばれた。)は1995年8月18日にセントルイス・ラムズとのプレシーズンゲームでお披露目された。

1995年から2002年まで編集

1995年エクスパンション・ドラフトでチームは最初にQBスティーブ・バーラインを指名した。この年、バーラインに代わってすぐにマーク・ブルネルが先発QBとなったが4勝12敗でシーズンを終えた。しかしこの成績はこれまでのエクスパンションチームで最も勝利した1968年のシンシナティ・ベンガルズの3勝を上回るものであった(なお、カロライナ・パンサーズはこの年7勝9敗で終えた。)。この年加入したQBブルネル(グリーンベイ・パッカーズからドラフト当日トレードで加入)、OTトニー・ボセリ(ドラフト1巡)、RBジェームス・スチュワート(ドラフト1巡)、WRジミー・スミス(ドラフト外)が加入した。

9月3日に行われたレギュラーシーズン開幕戦には72,363人の観衆が詰め寄せヒューストン・オイラーズに3-10で敗れた[5]。チームは10月1日にヒューストンで行われた第4週、ヒューストン・オイラーズ戦で17-16と初勝利をあげた。また翌週には地元で前年のAFCチャンピオンのピッツバーグ・スティーラーズを20-16で破った。残りの2勝はいずれもクリーブランド・ブラウンズからであった。最終週のブラウンズ戦ではマイク・ホリスの34ヤードFGで24-21と勝利した。この試合がブラウンズがボルチモアに移転する前最後の試合となった[6]

1996年、チームは最後の7試合中6試合を勝って9勝7敗でリーグ参加2年目にして初のプレーオフ進出を果たした。転機となったのはセントルイス・ラムズ戦でブルネルが5インターセプトした後、アンドレ・ライズンを先発から外し、ジミー・スミスを先発にしたあたりからである。この時ブルネルを批判したライズンは控えに降格された。最終週のアトランタ・ファルコンズ戦では試合時間残り1分を切ってからモーテン・アンダーセンが30ヤードのFG失敗する幸運もあり、AFC第5シードでプレーオフに出場した。ワイルドカードプレーオフでバッファロー・ビルズを30-27で破り、ディビジョナルプレーオフではシーズン13勝3敗でAFCトップの成績をあげていたデンバー・ブロンコスも30-27で破った[7][8]。この試合終了後地元に戻ったチームを4万人のファンがホームスタジアムで出迎えた。彼らの多くはスタジアムのジャンボトロンで観戦しチームの帰還を待って泊り込んでいた。AFCチャンピオンシップゲームでは第3Qまで接戦を演じたが6-20でニューイングランド・ペイトリオッツに敗れてスーパーボウル出場を逃した。この年、同じ2年目のカロライナ・パンサーズもNFCチャンピオンシップゲームまで進出したがグリーンベイ・パッカーズに敗れた。

1997年、チームはスティーラーズと共に11勝5敗でシーズンを終えたが地区内の対戦成績で地区優勝を逃した。マイル・ハイ・スタジアムで行われたデンバー・ブロンコスとのプレーオフでは相手RBテレル・デービスらに合計300ヤード以上走られ5TDを許し17-42で敗れた[9]

1998年、チームは11勝5敗で地区優勝を果たした。エクスパンションチームが最初の4年間で3回プレーオフに出場するのは初めてのことであった。チーム創設以来初めて地元で迎えたワイルドカードプレーオフでニューイングランド・ペイトリオッツを25-10で破ったがディビジョナル・プレーオフでニューヨーク・ジェッツに24-34で敗れた。

1999年、チームはNFLトップの14勝2敗で地区優勝を果たした。レギュラーシーズン2度の敗戦はいずれもテネシー・タイタンズ戦であった。ホームアドバンテージを持って迎えたプレーオフでは初戦でマイアミ・ドルフィンズを62-7で破った(これがダン・マリーノとジミー・ジョンソンのNFL最後の試合となった。)。62得点及び55得点差は長いNFL史上でも2番目の記録であった。この試合でフレッド・テイラーが走った90ヤードのプレーはNFLのプレーオフ記録となっている[10]。AFCチャンピオンシップゲームではテネシー・タイタンズと対戦、ハーフタイムまでで14-10とリードしたが後半23失点を許し敗れた(NFLのチームで同じチームにのみシーズン3敗したのはこの年のジャガーズだけである。)。チーム創設以来5シーズンで4回プレーオフに出場したチームの快進撃はここで中断され次にプレーオフ出場を果たすのは2005年となった。

2000年に7勝9敗、2001年2002年と6勝10敗で3シーズン連続プレーオフを逃した。これにはサラリーキャップの問題が大きく影響を及ぼしていた[11]。2002年終了後8年間チームの指揮を執ったトム・コフリンは解雇された[12]

2003年以降編集

2003年から現役時代にはラインバッカーとして1980年代終わりから1990年代初めにNFLでプレーし、カロライナ・パンサーズでディフェンシブ・コーディネーターを務めてチームディフェンスを全体の30位から2位に改善したことのあるジャック・デルリオが新ヘッドコーチに就任した[13]。この年チームはドラフト7巡目で指名したバイロン・レフトウィッチをエースQBとした。5勝11敗に終わったもののサラリーキャップの問題も解消しチーム再建に明るい見通しが立った。

2004年、チームはロードのランボー・フィールドグリーンベイ・パッカーズRCAドームインディアナポリス・コルツを破り9勝7敗で終えた。ディフェンスタックルのマーカス・ストラウド、ジョン・ヘンダーソンはそれぞれプロボウルに選ばれた。フレッド・テイラーをパッカーズ戦で失いこの年もプレーオフを逃した。なおこの年NFLのチームとして初めてロースターに3人のアフリカ系アメリカ人QB(バイロン・レフトウィッチ、デビッド・ギャラード、クイン・グレイ)が入った。

2005年、同地区のインディアナポリス・コルツが開幕から13連勝するなど独走を許したが12勝4敗で1999年以来となるプレーオフ出場を果たした。プレーオフではスーパーボウル3連覇を狙うニューイングランド・ペイトリオッツに3-28で敗れた。

2006年チームは期待されたがレジー・ヘイワード、グレッグ・ジョーンズ、ドノビン・ダリウス、バイロン・レフトウィッチ、マイク・ピーターソンがシーズン絶望となる負傷をするなど怪我人が続出したシーズンとなった。スーパーボウルチャンピオンのピッツバーグ・スティーラーズを破るなど2連勝したが8勝8敗に終わった。そんな中でドラフト2巡目で指名されたモーリス・ジョーンズ=ドリューが平均5.7ヤード獲得でNFLトップとなり16TD(NFL3位)の成績をあげた。

2007年4月28日のドラフトではブレイディ・クインではなくシアトル・シーホークスからオファーを受けているデオン・グラントの代わりに期待するレジー・ネルソンを指名した。6月15日には長年チームに貢献してきたが怪我の多くなったドノビン・ダリウスを解雇した。8月31日、長年チームの控えQBを務めてきたデビッド・ギャラードをエースQBに指名し、バイロン・レフトウィッチを最終ロースターに残さず解雇した。チームは11勝5敗でプレーオフに進出、翌年1月5日のピッツバーグ・スティーラーズ戦では31-29とプレーオフで8年ぶりに勝利した。しかしニューイングランド・ペイトリオッツ戦でトム・ブレイディにプレッシャーを与えたのはわずか1回でパス24回中22回成功させ20-31で敗れた。この年チームの攻撃の中心はモーリス・ジョーンズ=ドリューとフレッド・テイラーによるラン攻撃であったがギャラードもインターセプトわずか3回と安定した攻撃を見せた。

2008年チームはフリーエージェントでWRジェリー・ポーターを獲得、ドラフトでも弱点を補ってESPNのジャーナリスト、ケビン・シーファートなどはスーパーボウルに行けるのではと期待した。しかし開幕戦の第1Qにオフェンスラインの2人を失い、また9月2日にオフェンシブタックルのリチャード・コリアーが14発の銃弾を受けて左足切断の重傷を負い[14]現役を引退した。他にもオフェンスラインに怪我人が続出し、開幕から8連敗していたシンシナティ・ベンガルズにも敗れるなどチームは2003年以来最悪の5勝11敗に終わった。

2009年はホームゲームでのチケットの売れ行きが悪く半シーズンチケットの販売もしたが[15]ホームゲーム8試合中、7試合がブラックアウト(本拠地から一定距離の範囲ではテレビ放送ができなくなる。)となった[16]。チケットの売れ行きの悪さからチームの移転や売却の噂も流れた。この年の平均観客動員はリーグ30位の49,651人であった[17]。このため2010年、地元で利用できるクーポンをつけたシーズンチケットの発売も始めた[16]

2010年、第16週終了時点で地区優勝の可能性を残していたが、エースRBのモーリス・ジョーンズ=ドリューが最終週の試合を欠場[18]、地区優勝を逃した。

2011年シーズン開幕直前、QBギャラードを解雇した。11月29日、3勝8敗の時点でウェイン・ウィーバーオーナーがチームを自動車部品製造会社代表のシャヒド・カーンに売却したことを発表、ジャック・デルリオヘッドコーチも解任された[19]。暫定ヘッドコーチにディフェンスコーディネーターのメル・タッカーが就任した[20]。5勝11敗に終わり、シーズン終了後、アトランタ・ファルコンズのオフェンスコーディネーターを務めていたマイク・ムラーキーを新ヘッドコーチとして迎えた[21]。この年、モーリス・ジョーンズ=ドリューは、1,606ヤードを走りリーグのリーディングラッシャーとなった[22]

2012年、開幕前モーリス・ジョーンズ=ドリューが38日間ホールドアウトを行い、9月2日にようやくチームへ合流した[23]。チームはに終わり、2013年1月10日、マイク・ムラーキーヘッドコーチは1シーズンで解任された[24]。2013年1月17日、シアトル・シーホークスのディフェンスコーディネーター、ガス・ブラッドリーのヘッドコーチ就任が発表された[25]。オフには9年間にわたりディフェンスの軸として活躍したラショーン・マシスを放出。

2013年、ガス・ブラッドリー新HCとデヴィット・コールドウェルGM体制での1年目だったが、開幕8連敗を含む4勝12敗でシーズンを終えた。ルーキーのデナード・ロビンソンを史上初のオフェンシブウェポン(OW)というポジション名で登録し、ワイドレシーバーやランニングバックなど複数のポジションで起用する意向を示して注目を浴びたが、目立った成績は残すことはできなかった[26]。この年のオフ、モーリス・ジョーンズ=ドリューを放出。また、2010年のドラフト1巡目QB・ブレイン・ギャバートもサンフランシスコ・49ersへドラフト指名権と引き換えにトレードした[27]

2014年、ドラフト1巡目全体3位でUCFのQB・ブレイク・ボートルスを指名。開幕当初はチャド・ヘニーを先発QBに据えボートルズは控えとしてじっくり育成する予定だったが、ヘニーの不調から予定を前倒し、第3週のコルツ戦途中からボートルズを投入。以降先発を務めることになる[28]。チームは第7週にクリーブランド・ブラウンズ相手に初勝利を挙げるが、この試合でディフェンスの柱ポール・ポスラスズニーが胸筋の断裂で今季絶望に。第13週ニューヨーク・ジャイアンツ戦で、前半21対3の劣勢から、後半18点差を逆転し今季2勝目。第16週はテネシー・タイタンズから勝利を挙げ、通算3勝13敗でシーズンを終えた。なお、この年は敵地で1勝も挙げられなかった。

2016年、チームは9連敗を喫し、就任後4年連続してプレーオフ進出を逃したガス・ブラッドリーHCは解雇された。後任にはダグ・マローンが就任した。また、ニューヨーク・ジャイアンツのHCを務めていたトム・コフリンが球団副社長としてチームに復帰。

2017年は、ボートルスが安定したプレイを披露、守備陣でもA.J.ボウイェジェイレン・ラムジーのCBコンビが揃ってプロボウルに選出される活躍を見せ[29]、18年ぶりの地区優勝(南地区となってから初)を達成。プレーオフではバッファロー・ビルズピッツバーグ・スティーラーズを倒したが、AFCチャンピオンシップゲームニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。

2018年は地区最下位に終わった。

成績編集

レギュラーシーズン編集

AFC南地区編集

年度 地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2018 JAX
2017 JAX(3c) 10 6 0 TEN(5d) 9 7 0 IND 4 12 0 HOU 4 12 0
2016 HOU(4d) 9 7 0 TEN 9 7 0 IND 8 8 0 JAX 3 13 0
2015 HOU(4w) 9 7 0 IND 8 8 0 JAX 5 11 0 TEN 3 13 0
2014 IND(4c) 11 5 0 HOU 9 7 0 JAX 3 13 0 TEN 2 14 0
2013 IND(4d) 11 5 0 TEN 7 9 0 JAX 4 12 0 HOU 2 14 0
2012 HOU(3d) 12 4 0 IND(5w) 11 5 0 TEN 6 10 0 JAX 2 14 0
2011 HOU(3d) 10 6 0 TEN 9 7 0 JAX 5 11 0 IND 2 14 0
2010 IND(3w) 10 6 0 JAX 8 8 0 HOU 6 10 0 TEN 6 10 0
2009 IND(1s) 14 2 0 HOU 9 7 0 TEN 8 8 0 JAX 7 9 0
2008 TEN(1d) 13 3 0 IND(5w) 12 4 0 HOU 8 8 0 JAX 5 11 0
2007 IND(2d) 13 3 0 JAX(5d) 11 5 0 TEN(6w) 10 6 0 HOU 8 8 0
2006 IND(3v) 12 4 0 TEN 8 8 0 JAX 8 8 0 HOU 6 10 0
2005 IND(1d) 14 2 0 JAX(5w) 12 4 0 TEN 4 12 0 HOU 2 14 0
2004 IND(3d) 12 4 0 JAX 9 7 0 HOU 7 9 0 TEN 7 9 0
2003 IND(3c) 12 4 0 TEN(5d) 12 4 0 JAX 5 11 0 HOU 5 11 0
2002 TEN(2c) 11 5 0 IND(5w) 10 6 0 JAX 6 10 0 HOU 4 12 0

AFC中地区編集

年度 地区優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム
2001 PIT(1c) 13 3 0 BAL(5d) 10 6 0 CLE 7 9 0 TEN 7 9 0 JAX 6 10 0 CIN 6 10 0
2000 TEN(1d) 13 3 0 BAL(4v) 12 4 0 PIT 9 7 0 JAX 7 9 0 CIN 4 12 0 CLE 3 13 0
1999 JAX(1c) 14 2 0 TEN(4s) 13 3 0 BAL 8 8 0 PIT 6 10 0 CIN 4 12 0 CLE 2 14 0
1998 JAX(3d) 11 5 0 TEN 8 8 0 PIT 7 9 0 BAL 6 10 0 CIN 3 13 0
1997 PIT(2c) 11 5 0 JAX(5w) 11 5 0 TEN 8 8 0 CIN 7 9 0 BAL 6 9 1
1996 PIT(3d) 10 6 0 JAX(5c) 9 7 0 CIN 8 8 0 HOU 8 8 0 BAL 4 12 0
1995 PIT(2s) 11 5 0 CIN 7 9 0 HOU 7 9 0 CLE 5 11 0 JAX 4 12 0

プレイオフ編集

Note: 勝 = 勝, 敗 = 敗, 分 = 引分

シーズン 最終順位 プレーオフ
1996 9 7 0 AFC中地区2位 ワイルドカードプレーオフ勝利 30-27 バッファロー・ビルズ
ディビジョナルプレーオフ勝利 30-27 デンバー・ブロンコス
AFCチャンピオンシップゲーム敗北 6-20 ニューイングランド・ペイトリオッツ
1997 11 5 0 AFC中地区2位 ワイルドカードプレーオフ敗北 17-42 デンバー・ブロンコス
1998 11 5 0 AFC中地区優勝 ワイルドカードプレーオフ勝利 25-10 ニューイングランド・ペイトリオッツ
ディビジョナル・プレーオフ敗北 24-34 ニューヨーク・ジェッツ
1999 14 2 0 AFC中地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 62-7 マイアミ・ドルフィンズ
AFCチャンピオンシップゲーム敗北 14-33 テネシー・タイタンズ
2005 12 4 0 AFC南地区2位 ワイルドカードプレーオフ敗北 3-28 ニューイングランド・ペイトリオッツ
2007 11 5 0 AFC南地区2位 ワイルドカードプレーオフ勝利 31-29 ピッツバーグ・スティーラーズ
ディビジョナル・プレーオフ敗北 20-31 ニューイングランド・ペイトリオッツ

歴代ヘッドコーチ編集

  • トム・コフリン(1995 - 2002)
  • ジャック・デル・リオ(2003 - 2011)
  • メル・タッカー(2011)
  • マイク・ムラーキー(2012)
  • ガス・ブラッドリー(2013-2016)
  • ダグ・マローン (2017-)

ロゴ、マスコット編集

 
ジャクソン・デビルと水兵

ジャガーズが当初制作したロゴは自動車メーカーのジャガーと類似しているとして一時訴訟問題となった。

「ジャクソン・デビル」(Jaxson de Ville)と呼ばれるマスコットが1996年のチーム創設以来チームの応援を盛り上げている。

チアリーダー編集

1995年のNFL参入年より、「ジャクソンビル・ロアー(Jacksonville Roar)」というチームを結成。2013年からチーム初の日本人チアリーダーとして、小野綾子が参加している[30]

脚注編集

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  1. ^ Ranking Tables for Metropolitan Areas:1990 and 2000”. U.S. Bureau of the Census. 2010年5月10日閲覧。
  2. ^ Population of the 100 Largest Urban Places:1990”. U.S. Bureau of the Census. 2010年5月10日閲覧。
  3. ^ a b Jacksonville Jaguars”. プロフットボール殿堂. 2010年5月10日閲覧。
  4. ^ 新設チーム扱いでフランチャイズ史などはその後再建された新生ブラウンズに受け継がれた。
  5. ^ JACKSONVILLE JAGUARS (0-0) vs. HOUSTON OILERS (0-0) Sunday, September 3, 1995”. ジャクソンビル・ジャガーズHP. 2010年5月10日閲覧。
  6. ^ AROUND THE N.F.L.;Thigpen Drops Crown On Packers' Heads”. ニューヨーク・タイムズ (1995年12月25日). 2010年5月9日閲覧。
  7. ^ 世紀の番狂わせTOP10 第6位:1996シーズンプレイオフ”. NFL JAPAN (2009年7月15日). 2010年5月10日閲覧。
  8. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “Ambush At Mile High”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。
  9. ^ Pro-Football-Reference.com - Pro Football Statistics and History
  10. ^ Taylor, Jaguars run roughshod over Dolphins 62-7”. CNN (2000年2月2日). 2010年5月9日閲覧。
  11. ^ フランチャイズ史”. NFL JAPAN. 2010年5月10日閲覧。
  12. ^ ジャガーズ、チーム史上唯一のヘッドコーチを解雇”. NFL JAPAN (2002年12月31日). 2010年5月10日閲覧。
  13. ^ デルリオ、ジャガーズの新ヘッドコーチに就任!”. NFL JAPAN (2003年1月18日). 2010年5月10日閲覧。
  14. ^ ジャガーズのコリアーが左脚切断”. AFP (2008年9月30日). 2010年5月9日閲覧。
  15. ^ 集客不振で苦肉の策? ジャガーズが“半”シーズンチケット発売”. NFL JAPAN (2009年7月14日). 2010年5月10日閲覧。
  16. ^ a b 観客動員に苦しむジャガーズ、新チケット販売へ”. NFL JAPAN (2010年4月14日). 2010年5月10日閲覧。
  17. ^ 2009 NFL Football Attendance”. ESPN.com. 2010年4月26日閲覧。
  18. ^ ジャガーズに暗雲、ジョーンズドリューがひざ手術で最終戦欠場”. NFL JAPAN (2011年1月1日). 2013年1月18日閲覧。
  19. ^ ジャガーズ、デルリオHCを解任”. NFL JAPAN (2011年11月30日). 2011年11月30日閲覧。
  20. ^ ジャガーズのタッカー前暫定HC、DCでチーム残留”. NFL JAPAN (2012年1月13日). 2012年1月20日閲覧。
  21. ^ ジャガーズのムラーキー新HC、「低迷脱出まであと少し」”. NFL JAPAN (2012年1月11日). 2012年1月20日閲覧。
  22. ^ RBジョーンズドリュー、ラン獲得ヤードの歴代1位に照準”. NFL JAPAN (2012年6月27日). 2013年1月18日閲覧。
  23. ^ RBジョーンズドリュー、ついにジャガーズ合流”. NFL JAPAN (2012年9月3日). 2013年1月18日閲覧。
  24. ^ ジャガーズ新GM、ムラーキーHCを解任”. NFL JAPAN (2013年1月11日). 2013年1月18日閲覧。
  25. ^ ジャガーズ、新HCは前シーホークスDCに決定”. NFL JAPAN (2013年1月18日). 2013年1月18日閲覧。
  26. ^ 史上初のOWロビンソン、今後はRBに専念で再起へ”. NFL JAPAN (2014年4月26日). 2014年4月26日閲覧。
  27. ^ ジャガーズ、元ドラ1QBギャバートを49ersへトレード”. NFL JAPAN (2014年3月12日). 2014年3月12日閲覧。
  28. ^ ジャガーズ育成プラン崩壊、新人QBボートルスのデビュー前倒し”. NFL JAPAN (2014年9月22日). 2014年9月22日閲覧。
  29. ^ NFLが2018年のプロボウルロースターを発表”. NFL JAPAN (2017年12月20日). 2018年9月3日閲覧。
  30. ^ ジャガーズ 小野綾子 チアダイアリー”. NFL JAPAN. 2015年5月11日閲覧。

外部リンク編集