鳥居忱
日本の作詞家
鳥居 忱(とりい まこと、嘉永6年8月22日〈1853年9月24日〉[1][2] - 大正6年〈1917年〉5月15日)は、日本の作詞家。本名は忠一(ただかず)、初名は尾巻(おまき)。忱は通称。父は壬生藩江戸家老・鳥居志摩(忠敦)[1]。
経歴
編集江戸の大名小路(現在の東京都千代田区丸の内)若年寄役屋敷で生まれる。1870年大学南校(現在の東京大学)一年修業。1874年東京外国語学校(現在の東京外国語大学)入学、五年修業。1880年ルーサー・ホワイティング・メーソンに師事し、音楽取調掛(現在の東京芸術大学音楽学部)に入学。1882年音楽取調掛雇。第一高等中学校(現在の東京大学教養学部)雇、東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)教授嘱託、1891年教授。1913年病気のため退官。1917年5月15日死去、享年65。
作品
編集著書
編集- 『音楽道のしるべ』千鍾房 1887-1888
- 『音楽理論』金港堂 1891
- 『竹取物語析義』須原屋、嵩山房 1892
- 『支那征伐軍歌全集』春陽堂 1894
- 『大東軍歌 雪月花』編 大日本図書 1895
- 『方丈記析義』編 大日本図書 1898
- 『古今和歌集序析義』大日本図書 1901
- 『戦響歌譜 5』弘文館 1904
- 『吉野拾遺要鈔』学海指針社 1911
- 『歴史唱歌 忠君憂国 1』天香閣 1911
- 翻訳
- Albert le Roy, Gustave Ducoudray 合著『哲学一斑』普及社 1887
脚注
編集参考文献
編集- 秋山龍英「(明治四十年十月六日 朝日新聞)我国音楽界の恩人二十五年勤続の鳥居忱氏」『日本の洋楽百年史』第一法規、1966年、170頁。
- 『日本近代文学大事典』(机上版)講談社、1984年。ISBN 978-4062009270。
- 『登米市立佐沼小学校ホームページ』