水野 辰彌(みずの たつや、1915年 - 1947年)は、日本の元アマチュア野球選手。愛知県出身。
愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)から1934年に早稲田大学に進み、野球をプレーした。ポジションは左翼手だったと伝わる。
早大卒業後応召され、中国で終戦を迎える。その後国民革命軍大佐として国共内戦に携わり、1947年(正確な死没月日は不明)に中国国内で戦死した。享年32。
東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている[1]。