紀 文幹(き の ふみもと)は、平安時代中期の貴族・歌人。参議・紀淑光の子。官位は従五位下・信濃守。
天慶7年(944年)信濃国に国司(信濃守)として下向したが、到着した当日は暴風雨が吹き荒れており、国衙が倒壊し、その下敷きとなり圧死した[1]。最終官位は信濃守従五位下。
『拾遺和歌集』春の部に承平4年(934年)詠じた屏風の歌一首が掲載されている。