サンドラ・シュミット

ドイツのフリースタイルスキー選手

サンドラ・シュミット(Sandra Schmitt、1981年4月26日 - 2000年11月11日)は、ドイツの女子モーグル選手である。

サンドラ・シュミット
名前
本名 サンドラ・シュミット
ラテン文字 Sandra Schmitt
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
種目 フリースタイルスキーモーグル
所属 Skiclub Moguls & Friends
生年月日 (1981-04-26) 1981年4月26日
没年月日 (2000-11-11) 2000年11月11日(19歳没)
生誕地 西ドイツの旗 西ドイツヘッセン州グロース=ゲーラウ郡メルフェルデン=ヴァルドルフ[1]
死没地  オーストリアザルツブルク州ツェル・アム・ゼー郡カプルンドイツ語版英語版
身長 168cm
体重 55kg
ワールドカップ戦歴
デビュー年 1996-1997季
引退年 2000年
最高成績 1999年フリースタイルスキー世界選手権デュアルモーグル優勝(マイリンゲン・ハスリベルク)
獲得メダル
ドイツの旗 ドイツ
フリースタイルスキー世界選手権
1999 マイリンゲン・ハスリベルク デュアルモーグル

1999年3月にスイスのマイリンゲン・ハスリベルクで開催された第7回フリースタイルスキー世界選手権のデュアルモーグルで優勝するなど、世界のトップクラス選手として活躍していた[2]。しかし、2000年11月11日にオーストリアのカプルンで発生したケーブルカー火災事故に遭遇して死去している[3][4]

経歴

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生い立ち

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メルフェルデン=ヴァルドルフの出身[1][4]。両親は熱心なスキー愛好家で、シュミットも7歳からスキーを始めた[4]。1994年、ドイツスキー協会のトレーナーはシュミットの才能に注目して「彼女は最高の選手になれる」と両親に話している[4]

1997年 - 1998年

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1997年1月17日、当時15歳のシュミットはチェコスピンドレルフ・ムリン英語版で開催されたフリースタイルスキー・ヨーロッパカップのデュアルモーグルで初優勝を果たした[2][5]。翌日のモーグルでも2位に入り、同年1月25日にシャンペリ英語版(スイス)で開催された大会でもデュアルモーグルで優勝した[2][6]。なお、ヨーロッパカップ以外の1997-1998季の主な成績では、フリースタイルスキー・ワールドカップで1998年3月10日のHundfjaellet(スウェーデン)大会のデュアルモーグル3位が最高成績であった[2][7]

1998年に開催された長野オリンピック女子モーグルでは、ドイツ代表として出場した[8]。女子モーグル種目は、飯綱高原スキー場を会場として1998年2月8日(予選)、2月11日(決勝)という日程で実施された[9][10]。出場した28選手中で決勝に進めるのは、予選上位16選手までとなっていた[9][11]。シュミットは2月8日の予選で総得点22.63点の記録で6位につけ、決勝に進んだ[11]。2月11日の決勝では、日本里谷多英が総得点25.06点で金メダルを獲得し、以下タチアナ・ミッターマイヤー(ドイツ)、カーリ・トローノルウェー)が続いた[12]。シュミットは総得点23.67点と予選より得点を伸ばしたが、結局9位となって入賞はならなかった[9][12]

1999年 - 2000年

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1999年2月27日にユヴァスキュラフィンランド)で開催された国際ユース選手権では、モーグルで優勝した[2][13]。同年3月14日、マイリンゲン・ハスリベルク(スイス)で開催された第7回フリースタイルスキー世界選手権のデュアルモーグルではカーリ・トローや上村愛子などを抑えて優勝した[2][14]

シュミットがワールドカップで初優勝したのは、1999年1月16日のスチームボート(Steamboat Springsアメリカ)大会(デュアルモーグル)だった[2][15]。通算では、ワールドカップで5回優勝し、世界選手権で1回優勝している[2]。そのうち、2000年1月29日と1月30日の両日に開催されたワールドカップ斑尾大会ではデュアルモーグル(1月29日)、モーグル(1月30日)で連勝した[2][16]

ワールドカップなどで好成績を続けたシュミットは、2002年開催のソルトレークシティオリンピックで有力なメダル候補として期待されていた[4]。しかし、世界のトップクラス選手となったシュミットの死は、突然のことであった[3][4]。2000年11月11日、当時19歳のシュミットは、両親とともにオーストリアのカプルンで発生したケーブルカー火災事故に遭遇して死去した[3][4]

脚注

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  1. ^ a b サンドラ・シュミット”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月11日閲覧。 (英語)
  2. ^ a b c d e f g h i SCHMITT Sandra”. FISによるプロフィール. 2014年10月11日閲覧。 (英語)
  3. ^ a b c オーストリアケーブルカー火災”. 失敗知識データベース. 2014年10月11日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g John Samuel (2000年11月17日). “Sandra SchmittFreestyle skiing champion cheated of Olympic chance”. 2014年10月11日閲覧。 ガーディアンによる訃報記事 (英語)
  5. ^ Europa Cup - Ladies' Dual moguls Spindleruv Mlyn (CZE)”. FISウェブサイト. 2014年10月11日閲覧。 (英語)
  6. ^ Europa Cup - Ladies' Dual moguls Champery (SUI)”. FISウェブサイト. 2014年10月11日閲覧。 (英語)
  7. ^ World Cup - Ladies' Moguls Hundfjaellet (SWE)”. FISウェブサイト. 2014年10月11日閲覧。 (英語)
  8. ^ サンドラ・シュミット”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月11日閲覧。 (英語)
  9. ^ a b c サンドラ・シュミット”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月11日閲覧。(英語)
  10. ^ 長野五輪ニュース フリースタイルスキー”. 信濃毎日新聞. 2014年10月12日閲覧。
  11. ^ a b サンドラ・シュミット”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月11日閲覧。 (英語)
  12. ^ a b サンドラ・シュミット”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月11日閲覧。 (英語)
  13. ^ International Youth Championships - Ladies' Moguls Jyväskylä (FIN)”. FISウェブサイト. 2014年10月11日閲覧。 (英語)
  14. ^ World Ski Championships - Ladies' Dual moguls Meiringen-Hasliberg (SUI)”. FISウェブサイト. 2014年10月11日閲覧。 (英語)
  15. ^ World Cup - Ladies' Dual Moguls Steamboat (USA)”. FISウェブサイト. 2014年10月11日閲覧。 (英語)
  16. ^ ウィンタースポーツ W杯モーグル斑尾大会 上村3位 大技決めた”. 信濃毎日新聞. 2014年10月12日閲覧。

外部リンク

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