丘球学
丘 球學(おか きゅうがく、旧姓:山田、1877年10月17日 - 1953年10月14日)は、愛知県出身の日本の曹洞宗の僧侶。
略歴
編集明治10年(1877年)10月17日、愛知県碧海郡筒針村(現・岡崎市)山田栄助の三男として生まれる。1891年、静岡県磐田郡井通村(現・磐田市)の正医寺住職榑松賢童に就いて出家得度。可睡斎で修行し西有穆山・丘宗潭に師事して後を継ぐ。
1902年(明治35年)に曹洞宗大学林(現・駒澤大学)を卒業、1915年(大正4年)に修禅寺38世住職・安泰寺住職を継ぐ。
曹洞宗大学林副学監、永平寺後堂、總持寺西堂、ソウル博文寺住職を歴任し、1947年(昭和22年)に帰国後、永平寺西堂、永平寺東京別院監院、永平寺副貫首となる。
1953年(昭和28年)10月14日に遷化。
著作リスト
編集参考文献
編集- 『禅学大辞典』(大修館書店)p127