真井耕象
日本の土木工学者
経歴
編集福岡県に生まれる。福岡県立中学修猷館、旧制第八高等学校を経て、1925年、九州帝国大学工学部土木工学科を卒業[1]。
卒業後、北海道大学工学部に招かれ講師として赴任。1927年、助教授を経て、1942年、教授に就任[1]。鉄道工学第一講座を担任し、鉄道工学、土質力学、道路工学、都市計画学等を講じた。日本において最も早く地盤工学(土質工学)を体系的に講義した一人であった。寒冷地において多くの問題を引き起こしてきた泥炭の工学的性質、地盤の凍上現象等の研究を先駆的に開始していた[1]。
日本学術会議会員として日本の科学技術の進展に尽くし、土質工学会(現・地盤工学会)、土木学会、日本雪氷学会、日本建設機械化協会、北海道土木技術会ほかの支部長、会長、評議員等を務めた。また、北海道総合開発委員会委員として、北海道における鉄道、道路、港湾、航空路などの総合開発計画に参画した。
1964年、北海道大学を定年退官。その後、1971年まで苫小牧工業高等専門学校の初代校長を務める。1971年、勲二等瑞宝章受章。
2000年2月16日、心不全のため死去。
参考文献
編集- 土岐祥介, 「名誉会員 真井耕象先生の御逝去を悼む」『土と基礎』 Vol.48 No.5, 土質工学会, 2000年, NAID 110003976155