寿陽堂とし国
江戸時代後期の大坂の浮世絵師
来歴
編集春好斎北洲及び寿好堂よし国の門人。始めは北洲の門人であったが後によし国の門人となった。大坂の人で唐物町に住む。芦堂、春陽堂、寿陽堂、とし国、年国、歳国、豊川と称し、天保3年(1832年)9月からは「春帰斎北雁」と称す。作画期は文化13年(1816年)から天保中期にかけてで、役者絵を描いている。
作品
編集- 「高野師直・市川鰕十郎」 大判錦絵 ※文化13年、大坂堀江芝居『仮名手本忠臣蔵』より
- 「三郎盛国・嵐吉三郎」 大判錦絵 池田文庫所蔵 ※文化14年、大坂中の芝居『先陣藤戸誉』より
- 「口上 市川甚之助」 大判錦絵 早稲田大学演劇博物館所蔵 ※文政4年(1821年)
- 「宮本無三四・尾上多見蔵」 大判錦絵 池田文庫所蔵 ※文政7年6 - 10月頃、東竹田芝居『絵本巌流島』より
- 「自来也・中村鶴助」 大判錦絵 池田文庫所蔵 ※文政7年9 - 10月頃、大坂大西芝居『柵自来也談』より
- 「奴谷平・浅尾歌四良 加藤清正・片岡市蔵 上田慶次郎・尾上芙雀 つぢかぜの伴助・百村門九郎」 大判錦絵2枚続 池田文庫所蔵 ※文政9年7月、大西芝居『契情会稽山』より
- 「佐藤忠信・中村歌右衛門」 大判錦絵 池田文庫所蔵 ※文政8年9月、堺大寺芝居『義経千本桜』より
- 「三郎国定・中村芝翫」 大判錦絵 池田文庫所蔵 ※文政9年7月、中の芝居『木下蔭狭間合戦』より
- 「二世中村芝翫楽屋之図」 大判錦絵 ※大首絵。文政10年(1827年)正月、大坂角の芝居
- 「今木伝七・嵐橘三郎」 大判錦絵 池田文庫所蔵 ※文政10年4月、中の芝居『拳褌廓大通』より
- 「網干右兵衛之助・嵐璃寛 門番松兵衛・浅尾工左衛門」 大判錦絵 早稲田大学演劇博物館所蔵 ※天保3年(1832年)9月、中の芝居『払暁浦朝霧』より