栗山 賚四郎(くりやま らいしろう、文久3年8月23日1863年10月5日[1] - 昭和19年(1944年1月15日[2])は、日本の衆議院議員立憲民政党)。ジャーナリスト

栗山賚四郎

経歴 編集

肥前国神埼郡蓮池村(現在の佐賀県佐賀市から神埼市にかけての地域)に堺時中の四男として生まれ、栗山延光の養子となった。1888年明治21年)、東京専門学校(現在の早稲田大学)邦語法律科を卒業した[1]博文館に入社して、百科事典の編纂主任となった[2]。その後、『信府日報』主筆や『西肥日報』主筆を務めた[1]。さらに神埼郡会議員、佐賀県会議員、同議長に選出された[1]

1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

著書 編集

  • 『神埼郡郷土誌』(1915年、神埼郡教育会)

脚注 編集

  1. ^ a b c d 『大衆人事録』
  2. ^ a b 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。

参考文献 編集

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。