景明君 李忱(けいめいくん り しん、キョンミョングン イ・チム、경명군 이침、1489年 - 1526年)は、李氏朝鮮の王族。は誠之、諡号は貞敏。本貫は全州李氏

生涯 編集

成宗の十一男であり、生母は淑儀洪氏。優雅かつ質素な性格であり、学問も優れて名望が高かった。中宗の知遇を受け、宗親府・宗簿寺・司饔院都提調を常に兼ね、また文昭殿も管掌した[1]

家族 編集

参考文献 編集

  1. ^ 한국역대인물종합정보시스템 경명군