ウィリアム・チャンドレス

ウィリアム・チャンドレス(William Chandless、1829年11月7日[1] - 1896年5月5日[2])は、1860年代アマゾン盆地を探検した、イングランド出身の探検家

ウィリアム・チャンドレス、1880年撮影。
パディントンのセント・メアリズ教会にあるチャンドレスの墓。

アマゾンでの活動 編集

アマゾンに居住していた時期には、マナウス(後のアマゾナス州の州都)に居を構え、そこからアマゾン川南側の支流を探検し、様々な先住民と接触した。アラワ語族英語版の命名の由来となったアラワ語英語版は、死語となっているが、その存在は、チャンドレスが1867年に収集した僅かな語彙集によってのみ伝えられている。

チャンドレスは、自身の探検の報告書を、王立地理学会に書き送っており、その内容は、学会誌に掲載された。1866年には、プルス川の調査に対して、王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を贈られた[3]

死と残されたもの 編集

チャンドレスは、ロンドンで死去し、パディントンのセント・メアリズ教会の北東の一角にある、おじヘンリー・ゴア・チャンドレス(Henry Gore Chandless、1802年 - 1893年2月6日)、祖父トマス・チャンドレス(Thomas Chandless、1760年 - 1823年4月11日)と一緒の、特徴ある印象的な墓に埋葬された。

2003年ブラジルペルーとの国境に近い一帯に、チャンドレス州立公園が設定されたが、この名称はチャンドレスを讃えたものである[4]。この公園内を流れる川のひとつにも、チャンドレスの名が付けられている。

脚注 編集

参考文献 編集