長島直吉
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長島 直吉(ながしま なおきち、1806年(文化3年) - 1859年9月10日(安政6年8月14日))とは日本の柔術家である。
ながしまなおきち 長島直吉 | |
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生誕 | 1806年(文化3年) |
死没 |
1859年9月10日(安政6年8月14日) 江戸 |
国籍 | 日本 |
別名 | 長島行忠 |
職業 | 柔術家 |
流派 | 天神真楊流柔術 |
子供 | 長島久米太 |
親 | 野立三郎 |
親戚 | 野立八百蔵(兄) |
経歴
編集文化3年(1806年)に生まれる。
藩の銃卒野立三郎の五男。後に銃卒長島善吉の養子となった。
藩主の江戸行に毎回随行し江戸の磯又右衛門に入門して天神真楊流柔術を学ぶ。小天狗と称された。
後、道場を徳島市佐古小裏丁一丁目に開き、谷虎雄ら多数の門人を養成した。
長島道場は、阿波国の天神真楊流道場の最大派閥であった。
参考文献
編集- 『阿波人物誌』(な、長島直吉)