献侯 (趙)
戦国時代、晋の趙氏当主
献侯(けんこう、生年不詳 - 紀元前409年)は、戦国時代の趙氏の当主。趙献子とも。名は浣。代成君の子。
献侯 趙浣 | |
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趙 | |
侯 | |
王朝 | 趙 |
在位期間 | 前425年、前424年 - 前409年 |
姓・諱 | 趙浣 |
諡号 | 献侯 |
没年 | 紀元前409年 |
父 | 代成君 |
生涯
編集大叔父の趙襄子に太子として立てられた。
紀元前425年、趙襄子が死去すると、献侯が若くして即位して、中牟に都を置いた。しかし、趙襄子の弟[1]の趙桓子が献侯を追放して、代で自ら即位した。
紀元前424年、趙桓子が死去すると、趙の国人たちは趙桓子の子と兄弟を殺害して浣を迎えた。
紀元前411年、平邑に築城した。
紀元前409年、死去した。趙献子と諡された。子の烈侯が侯を称すると、献侯と追諡された。
脚注
編集参考文献
編集- 『史記』趙世家
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