時枝 誠之(ときえだ もとゆき、1870年4月21日明治3年3月21日[1] - 1934年昭和9年)5月17日[2])は、日本銀行家

経歴

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福岡県士族・時枝誠道の二男として福岡県糟屋郡多々良村(現在の福岡市東区)に生まれる[3]

1888年福岡県立尋常中学修猷館[4]、1893年第一高等学校英法科[5]を経て、1898年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[6][3]

1899年横浜正金銀行に入行し、ハワイ支店長、ニューヨーク支店長、サンフランシスコ支店長を経て、本店人事課長兼庶務課長を務めた。サンフランシスコ支店時代には「ポテトキング」と呼ばれた農園経営者牛島謹爾に融資をしている。1930年3月に退職後、十七銀行(現・福岡銀行)取締役などを務める[3]

長男は「時枝文法」で知られる国語学者時枝誠記

人物

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日本語改良論者であり、日本語を総アルファベット表記にして名詞を英語に置き換えた「Neo Japanism」を提唱している。

脚注

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  1. ^ 『昭和調査録 昭和6年版』日本人事通信社、1930年、トの部5頁。
  2. ^ 『音声学協会会報』第9年第2号・通巻第34号、日本音声学協会、1934年9月、p.12。
  3. ^ a b c 『人事興信録第8版下巻』ト之部30
  4. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館230年記念』同窓会員1頁
  5. ^ 『第一高等学校一覧(自昭和16年至昭和17年)(附録)』(第一高等学校、1941年)25頁
  6. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名115頁

参考文献

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  • "TOKIEDA MOTOKI AND HIS THEORY OF 'LANGUAGE AS PROCESS'"(THESIS) By Naoki Fuse,The Ohio State University,2010
  • 『人事興信録第8版下巻』人事興信所、1928年
  • 『修猷館同窓会名簿 修猷館230年記念』修猷館同窓会、2015年