明石 伊勢松(あかし いせまつ、1881年(明治14年)[1]- 1961年(昭和36年)[1])は、日本の造園技師。
福岡生まれ[1]。1901年(明治34年)に御料局の技手となり、測量課勤務[1]。名古屋、木曽、宇都宮と転勤する[1]。
1907年(明治40年)内匠寮内苑局技手となり、翌年から1910年(明治43年)まで東宮御所庭苑改造に従事する[1]。
1914年(大正3年)に宮内技手となり、同年武庫離宮御造営に従事する[1]。
翌年1915年(大正4年)に大礼使書記となり、同年より1916年(大正5年)まで青山御所勤務後、宮城勤務となる[1]。
1928年(昭和3年)、宮内技師となり、同年に退官[1]。