紀 小鹿(き の おしか、生没年未詳)は、奈良時代中期の歌人。紀 女郎(き の いらつめ)ともいう。
安貴王の妻であったが、王は神亀元年(724年)ごろ、因幡八上采女と関係を持ち、天皇の采女に臣下が手を出したという不敬罪で本郷(もとつくに)に退去させられている[1]。そのことが原因かどうかは不明であるが、天平年間(729年 - 749年)ごろから大伴家持とたびたび歌を交わしている[2]。
ほかにも、「怨恨(うらみ)の歌三首」[3]や、包める物を友に贈る歌[4]、梅の歌[5]がある。
ほとんどの歌が「相聞」歌であり、代表的な万葉女流歌人の一人とされている。
- ^ 『万葉集』巻第四、534番・535番題詞より
- ^ 『万葉集』巻第四、762番・763番、776番、巻第八、1460番・1461番
- ^ 『万葉集』巻第四、643番 - 645番
- ^ 『万葉集』巻第四、782番
- ^ 『万葉集』巻第八、1452番・1648番・1661番
- 『萬葉集』(二)・(三)完訳日本の古典3・4、小学館、1984年
ウィキクォートに
紀小鹿に関する引用句集があります。