大村 齊(おおむら ひとし、1876年明治8年)2月11日 - 1964年昭和39年)7月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将日本写真学会の初代会長を務めた。

大村 齊
おおむら ひとし
生誕 1876年2月11日
日本の旗 日本北海道
死没 (1964-07-27) 1964年7月27日(88歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1898 - 1929
最終階級 陸軍中将
指揮 陸地測量部
除隊後 日本写真学会会長
墓所 多磨霊園
テンプレートを表示

経歴

編集

北海道出身。1897年(明治30年)11月29日に陸軍士官学校(9期)を卒業し、1898年(明治31年)6月27日工兵少尉に任官し工兵第二大隊付となる[1]1900年(明治33年)11月21日工兵中尉に昇進[2]後、1901年(明治34年)11月23日に陸軍砲工学校(9期)高等科を卒業[3]した。その後、函館要塞通信長を経て、1904年(明治37年)6月30日、工兵大尉に昇進[4]日露戦争に従軍(第3軍工兵部長副官)。

1910年(明治43年)から1912年(明治45年)にかけて製図製版に関する研究のためオーストリアへ留学。この間1911年(明治44年)3月13日工兵少佐に昇進[5]。その後、陸地測量部写真班長、工兵第九大隊長などを経て、1916年(大正5年)11月15日工兵中佐に昇進[6]し、1918年(大正7年)11月20日、陸地測量部製図科長に就任[7]1919年(大正8年)7月25日、工兵大佐に昇進した[8]

1924年(大正13年)2月4日、陸軍少将に進級し陸地測量部長に着任。その後、1929年(昭和4年)8月1日、陸軍中将に昇進し、同日付けで待命となり、8月31日予備役に編入された。

陸地測量部長在任時の1926年(大正15年)に日本写真学会の初代会長に就任し、1942年(昭和17年)まで務めた。1944年(昭和19年)4月、東京写真工業専門学校校長[9]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[10]

栄典

編集
位階
勲章等
外国勲章佩用允許

脚注

編集
  1. ^ 『官報』第4498号、明治31年6月29日。
  2. ^ 『官報』第5219号、明治33年11月21日。
  3. ^ 『官報』第5548号、明治34年11月28日。
  4. ^ 『官報』第6300号、明治37年7月1日。
  5. ^ 『官報』第8315号、明治44年3月14日。
  6. ^ 『官報』第1288号、大正5年11月16日。
  7. ^ 『官報』第1891号、大正7年11月21日。
  8. ^ 『官報』第2093号、大正8年7月26日。
  9. ^ 工芸ヒストリー11東京工芸大学
  10. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」122頁。
  11. ^ 『官報』第4520号、明治31年7月25日。
  12. ^ 『官報』第5295号、明治34年3月1日。
  13. ^ 『官報』第6345号、明治37年8月23日。
  14. ^ 『官報』第7899号、明治42年10月21日。
  15. ^ 『官報』第684号、大正3年11月11日。
  16. ^ 『官報』第2132号、大正8年9月11日。
  17. ^ 『官報』第3501号、大正13年4月28日。
  18. ^ 『官報』第726号、昭和4年6月3日。
  19. ^ 『官報』第842号、昭和4年10月19日。
  20. ^ 『官報』号外、明治39年12月5日。
  21. ^ 『官報』第539号、大正3年5月18日。
  22. ^ 『官報』第1068号附録、大正5年2月25日。
  23. ^ 『官報』第2169号、大正8年10月27日。
  24. ^ 『官報』第2669号附録、大正10年6月24日。
  25. ^ 『官報』第603号、昭和4年1月4日。
  26. ^ 『官報』第4438号付録、昭和16年10月23日。
  27. ^ 『官報』第228号、大正2年5月6日。
軍職
先代
山内静夫
陸地測量部
第10代:1924年2月4日 - 1929年8月1日
次代
石井英橘
学職
先代
木村恵吉郎
東京写真工業専門学校校長
第3代 : 1944年4月 - 1945年11月
次代
東久世通忠