都甲 惟孝(とごう これたか)は、南北朝時代の武将。
都甲氏は豊後国国東郡都甲荘領主で、鎌倉幕府御家人を代々世襲[1]。はじめ観応の擾乱で九州へ逃れてきた足利直冬に従うが、のち南朝方に一時属した豊後守護大友氏時麾下に転じ、観応元年/正平5年(1350年)3月大宰府原山に至る[2]。翌年の観応2年/正平6年(1351年)直冬らと豊前にて戦いこれを破った[1][3]。