赤星有隆
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赤星 有隆(あかほし ありたか)は、鎌倉時代中期の武将。肥後赤星氏初代当主。
時代 | 鎌倉時代中期 |
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生誕 | 生年不明 |
死没 | 正慶2年/元弘3年3月13日(1333年4月27日) |
別名 | 通称:三郎入道宗愚[1] |
墓所 | 熊本県菊池市西福寺 |
氏族 | 赤星氏 |
父母 | 父:菊池隆泰 |
兄弟 | 菊池武房、有隆、菊池直隆、菊池頼隆、若宮隆顕、菊池隆冬、菊池康成、菊池重宗 |
子 | 隆鍰、遠基、女子(菊池武時室) |
経歴・人物
編集文永11年(1274年)文永の役に兄の菊池武房と共に参陣し、赤坂まで攻め入った元軍を破り、撃退し武功を挙げた(赤坂の戦い)[1]。のち後醍醐天皇の命で、娘婿の菊池武時に従い、鎮西探題の赤橋英時を攻めるがこれに敗れ、戦死した[1]。