尾佐竹徇
昭和から平成時代の電気工学者、通信技術者
尾佐竹 徇(おさたけ となう、1916年(大正5年)10月12日 - 2006年(平成18年)7月17日[1])は、昭和から平成時代の電気工学者、通信技術者。
経歴・人物
編集1941年(昭和16年)東京帝国大学工学部電気工学科卒業後、逓信省に入省する[2]。その後、逓信省東京中央電気通信局岩槻無線分局長、通信院工作所東京第一工場長などを歴任する[2]。1945年(昭和20年)、母校の東京帝国大学工学部助教授、1959年(昭和34年)東京大学教授となった[2]。
電気通信工学を主な研究分野とし、周波数変調方式、電子交換方式、通信網構成論の分野において先駆的な研究を行った[2]。大学外では、郵政省有線放送審議会、科学技術庁電子技術審議会、日本電信電話公社電気通信技術委員会などに参加した[2]。ほか、電子情報通信学会第51代会長(1974年5月 - 1975年5月)、電気学会副会長、日本工学会副会長などを歴任した[2][3]。
2006年7月17日、呼吸不全のため死去[1]。