長渡忠被
大日本帝国陸軍軍人
長渡 忠被(ながと ちゅうひ、1874年(明治7年)5月15日 - 1942年(昭和17年)3月12日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
長渡 忠被 | |
---|---|
生誕 |
1874年5月15日 日本 宮崎県 |
死没 | 1942年3月12日(67歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1895年 - 1923年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集宮崎県出身[1][2]。1895年(明治28年)陸軍士官学校第6期卒業[1][2]。
1916年(大正5年)1月に津連隊区司令官、同年11月に陸軍歩兵大佐、1917年(大正6年)8月に歩兵第20連隊長、1921年(大正10年)6月に陸軍少将・歩兵第28旅団長を経て、1923年(大正12年)8月に待命[1][2]。翌月、予備役に編入した[1][2]。
栄典
編集- 位階
- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。