平手 勘次郎(ひらて かんじろう、1877年明治10年)8月12日[1][2] - 1958年昭和33年)3月15日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中将

経歴

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宮崎県出身[1][注 1]。1901年(明治34年)12月、一等計手に任官し教育総監部付となる[1]。1904年(明治37年)9月、三等主計に任官し会計監督部付となる[1]第13師団糧食部員を経て、1907年(明治40年)3月、陸軍経理学校を卒業し第1師団経理部員に就任[1]。同年12月、二等主計に進み、1908年(明治41年)9月、関東都督府副官部勤務となる[1]。1910年(明治43年)11月、一等主計に昇進し関東倉庫付となる[1]。1911年(明治44年)6月から1912年(明治45年)5月まで経理学校学生となる。1912年(大正元年)12月、会計監督部付となり、陸軍省経理局課員、青島守備軍司令部付を経て、1918年(大正7年)6月、三等主計正に進級し東京経理部員に就任した[1]。1919年(大正8年)12月、経理学校教官に転じ、1922年(大正11年)4月、二等主計正に昇進し陸軍糧秣本廠員となる[1]

1923年(大正12年)10月、陸軍造兵廠火工廠会計課長に就任[1]。1924年(大正13年)12月、一等主計正に進み[3]糧秣本廠員となる[1]。1926年(大正15年)3月、第5師団経理部長に転じ、第3師団経理部長、第4師団経理部長を歴任し、1930年(昭和5年)8月、主計監に進級[1][2][3]。1933年(昭和8年)8月、近衛師団経理部長に就任し、1934年(昭和9年)6月、経理学校長に転じた[1][2][3]。同年8月、主計総監に進み経理局長に就任[1][2][3]。同年8月から1935年(昭和10年)3月まで経理学校長を兼務した[3]。1937年(昭和12年)2月15日、陸軍武官官等表の改正により陸軍主計中将となる[4]。同年8月、陸軍技術本部付となり、同月、予備役に編入された[1][2][3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』617頁、『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』517頁では埼玉。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『日本陸海軍総合事典』第2版、133-134頁。
  2. ^ a b c d e f 『日本陸軍将官辞典』617頁。
  3. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』517頁。
  4. ^ 昭和12年2月12日勅令第12号。『官報』第3032号、昭和12年2月13日。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。
  6. ^ 『官報』第2129号「叙任及辞令」1934年2月8日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。