河内山楽三
河内山 楽三(こうちやま らくぞう、1880年(明治13年)6月16日[1] - 1930年(昭和5年)11月4日[2])は、朝鮮総督府官僚。
経歴
編集山口県出身。山口高等学校を経て[3]、1906年(明治39年)、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業[1]。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格し、大蔵省に入省して主税局属となる[3]。その後、統監府財政監査官[4]、朝鮮総督府事務官、度支部司計課長、財務局長、専売局長を歴任[5]。退官後は朝鮮火災海上保険株式会社社長を務めた[5]。
脚注
編集- ^ a b 人事興信録 1918.
- ^ 『昭和7年度版 時事年鑑』時事新報社、1931年、586頁。
- ^ a b 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、188頁。
- ^ 「統監府財政監査官河内山楽三外三名韓国政府ノ聘用ニ応シ俸給及諸給ヲ受クルノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A04010146400
- ^ a b 人事興信録 1928.
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。