阿蘇 太郎吉(あそ たろきち、1894年明治27年)3月1日[1] - 1944年昭和19年)2月4日[注 1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

阿蘇 太郎吉
生誕 1894年3月1日
日本の旗 日本 京都府 京都市
死没 (1944-02-04) 1944年2月4日(49歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1944年
最終階級 陸軍少将
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経歴・人物

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京都市に生まれる。京都府二中、陸軍幼年学校を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業[2][3]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第68連隊付となる[2][4]。青島守備隊、陸地測量部勤務等の後、1932年(昭和7年)近衛歩兵第1連隊1934年(昭和9年)同連隊大隊長。1936年(昭和11年)から翌年に掛けて配属将校として拓殖大学、東京府第三中、第四中に勤務。1937年(昭和12年)独立歩兵第13連隊附として支那事変に参加し山西省内蒙古周辺を転戦・守備。

1940年(昭和15年)独立守備歩兵第15大隊長として満州興安東省扎蘭屯(現・中国内蒙古自治区)に勤務、中佐1943年(昭和18年)11月、海上機動第1旅団第2大隊長に発令され[1]、南方部隊に転用のため扎蘭屯を出発。同年12月カロリン諸島トラック島マーシャル諸島のブラウン島を経て、1944年(昭和19年)1月11日同諸島のクェゼリン島上陸。任務地の同諸島のウオッゼ島への待船中に米軍は同年1月30日より圧倒的な海空兵力で砲爆撃、2月1日米陸軍第7師団が上陸。サンゴ礁の島で満足な防御陣地もなく、海軍第61根拠地隊第61警備隊と自身の第2大隊の一部をもって応戦するも同年2月4日戦死、少将に特進した。

脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』27-28頁では2月6日。

出典

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  1. ^ a b 『日本陸軍将官辞典』27-28頁。
  2. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』369頁。
  3. ^ 『陸軍士官学校』237頁。
  4. ^ 『官報』第1022号、大正4年12月27日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。