大屋権平
大屋 権平(權平、おおや ごんぺい、1861年4月1日(文久元年2月22日[1][2])- 1923年[注 1](大正12年)3月31日[1][3])は、日本の鉄道官僚・技師、土木技術者。工学博士、朝鮮総督府鉄道局長官。
経歴
編集周防国岩国藩士・大屋定保の長男として生まれる[2][4]。1883年(明治16年)東京大学理学部(土木)工学科を卒業し、陸軍御用掛となる[1][2][4]。
1886年(明治19年)10月、鉄道局に転じて鉄道技師に任じられ、横須賀線、東海道線の建設に従事した[1][2][4]。その後、臨時鉄道隊技術部長、逓信省鉄道技監、兼鉄道作業局工務部長を歴任[1][2][4]。1901年(明治34年)6月、鉄道事業の視察調査のため欧米に派遣され、1902年(明治35年)4月に帰国した[1][2][4]。1901年8月、工学博士の学位を授与された[2][4]。1903年(明治36年)12月に休職となる[2]。
1903年、京釜鉄道の工事長に転じた[1][2][4]。その後、統監府鉄道管理局技師・工務部長兼総務部長、統監府鉄道管理局長、鉄道院技監兼韓国鉄道管理局長を経て、1910年(明治43年)朝鮮総督部鉄道局長官に就任し、朝鮮半島の鉄道建設に尽力した[1][2][4]。
親族
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 『鉄道史人物事典』103頁では1924年。
出典
編集参考文献
編集- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
- 高橋裕、藤井肇男共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。
- 鉄道史学会編『鉄道史人物事典』日本経済評論社、2013年。