ロレンツォ・デ・レオン・ゲレーロ
ロレンツォ・イグレシアス・デ・レオン・ゲレーロ(英語: Lorenzo Iglecias De Leon Guerrero; 1935年1月25日 - 2006年10月6日)は、北マリアナ諸島・サイパン島出身の政治家。1990年から1994年まで第3代北マリアナ諸島知事を務め、1978年から1980年まで北マリアナ諸島上院の初代議長を務めた。
ロレンツォ・デ・レオン・ゲレーロ | |
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Lorenzo De Leon Guerrero | |
第3代北マリアナ諸島知事 | |
任期 1990年1月8日 – 1994年1月10日 | |
副知事 | ベンジャミン・マングローナ |
前任者 | ペドロ・テノリオ |
後任者 | フロイラン・テノリオ |
初代北マリアナ諸島上院議長 | |
任期 1978年1月9日 – 1980年1月14日 | |
前任者 | 新設 |
後任者 | ペドロ・テノリオ |
個人情報 | |
生誕 | ロレンツォ・イグレシアス・デ・レオン・ゲレーロ 1935年1月25日 太平洋諸島信託統治領 マリアナ諸島、サイパン島 |
死没 | 2006年10月6日 (71歳没) アメリカ合衆国 北マリアナ諸島、サイパン島 |
子供 | 13 |
経歴・人物
編集1935年1月25日、サイパン島で父ペドロ・タイティンフォン・デレオン・ゲレーロと母カルメン・セリス・イグレシアスの間に生まれた。1973年から1976年までサイパン海運会社の副社長を務め、フィリピン・ミクロネシア・オリエント航海会社に10年以上勤務した。1980年から1989年まで、サイパンの海事会社の社長を務めていた[1]。
議員として
編集1972年、当時の北マリアナ諸島地区議会の上院議員に立候補し、当選。その後、1980年から1982年まで北マリアナ諸島上院の初代議長を務め、1983年から1985年まで北マリアナ諸島共和党の議長を務めた。1989年に北マリアナ諸島知事に選出され、1990年から1994年まで務めた。
その後
編集1997年、ゲレーロは、副知事候補リタ・イノス博士(Dr. Rita Inos)と知事選に立候補したが落選した。リタ・イノスは北マリアナ諸島の副知事に立候補した最初の女性であった[2]。
ゲレーロは長い闘病生活の末、2006年10月6日に死去[3]。北マリアナ諸島知事経験者として最も早く亡くなった。葬儀のミサは、クリストライ教会(Kristo Rai Church)とヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・パス・チャペル(Nuestra Senora de la Paz Chapel)で行われた。サイパン島のマウント・カーメル墓地(チャラン・カノア墓地)に埋葬された[4]。
参考文献
編集- ^ “NGA Profile of Lorenzo I. De Leon Guerrero”. National Governor's Association. January 25, 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月15日閲覧。
- ^ Deposa, Moneth (August 11, 2009). “Dr. Rita Inos, 55, dies of cancer”. Saipan Tribune. オリジナルのFebruary 24, 2012時点におけるアーカイブ。 2020年12月15日閲覧。
- ^ “Former CNMI Governor Guerrero Passes Away”. United States Department of the Interior (October 6, 2006). October 30, 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月15日閲覧。
- ^ http://www.mvariety.com/cnmi/cnmi-news/obituaries/104783-matilda-salas-villagomez-deleon-guerrero
外部リンク
編集党職 | ||
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先代 ペドロ・テノリオ |
北マリアナ諸島知事選 共和党候補者 1989年、1993年 |
次代 ペドロ・テノリオ |
公職 | ||
新設 | 北マリアナ諸島上院議長 初代: 1978年 – 1980年 |
次代 ペドロ・テノリオ |
先代 ペドロ・テノリオ |
北マリアナ諸島知事 第3代: 1990年 – 1994年 |
次代 フロイラン・テノリオ |