香月保
香月 保(かつき / かずき[1] たもつ、1901年(明治34年)4月30日[2] - 1964年(昭和39年)3月12日[3])は、日本のジャーナリスト。元福岡県田川市長。
経歴
編集福岡県に生まれる。1918年福岡県立中学修猷館[4]を卒業、同級生には後に朝日新聞で同僚となる笠信太郎と益田豊彦がいる。1923年東京商科大学(現・一橋大学)を卒業[2]。
東京朝日新聞に入社し、同社ロンドン支局長、亜細亜部長を経て、1945年朝日新聞大阪本社編集局長に就任する。
1947年4月第1回大阪府知事選挙に日本社会党公認候補として立候補するが、修猷館の同級生である赤間文三に敗れ落選する。
1951年田川市長に当選し、1955年まで務める。その後は九州朝日放送社長となった。1964年に死去した。
脚注
編集参考文献
編集- 『人事興信録 第17版』人事興信所、1953年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。