真慧

1434-1512, 室町時代中期~戦国時代の浄土真宗(高田派)の僧

真慧(しんね、永享6年(1434年)- 永正9年10月22日1512年11月30日))は、室町時代中期から戦国時代にかけての浄土真宗高田派)の。出自については、下野国高田専修寺定顕の子とも弟とも言われている。

略歴 編集

長禄2年(1458年)に法をついで、加賀国越前国近江国美濃国伊勢国など北陸から中部にかけての諸国に布教を行い、寛正5年(1464年)に専修寺を継いだ。当時不遇であったとされる本願寺蓮如とは親友であったが、専修寺継承の翌寛正6年(1465年)、本願寺の勢力拡大を巡って蓮如と対立する。その結果、蓮如との関係を断ち切り、伊勢国一身田に無量寿院を建立した。その後、専修寺を無量寿院に移して高田派の拠点とし、真宗高田派の教勢を拡大した。