柳田 和洋(やなぎた かずひろ、1973年1月11日 - )は日本の実業家で、元サッカー選手。「テゲバジャーロ宮崎」の創始者。宮崎県門川町出身。JFAスポーツマネージャーズカレッジCrade3修了。一般社団法人宮崎県サッカー協会専務理事、WEリーグ入りを目指す「ヴィアマテラス宮崎」の理事兼ゼネラルマネージャーを務める。

来歴

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宮崎県門川町に生まれる[1]。母親の勧めでサッカー少年団に入り、サッカーを始める[2]宮崎県立日向高等学校在学当時はサッカー部で主将を務めたもののサッカー選手志望ではなかったが、監督から大学の世話をするから続けるようアドバイスされた[2]。高校の同窓生に元読売ジャイアンツ織田淳哉がいる[2]

高校卒業後、名古屋商科大学に進む[1]。大学のサッカー部ではFWとなり、1年生からレギュラー選手の座をつかんだ[1][2]

1995年に宮崎県に帰郷して建設業の職に就いた[1][2]。1年ほどサッカーから離れたが、宮崎県サッカーリーグに招かれ、その後プロフェソール宮崎FCに移る[2][3]。しかし、自らチームをマネジメントすることを志望した[2]

1999年、門川クラブの選手兼監督に就任し、クラブは2003年に宮崎県サッカーリーグに昇格した。クラブは名称をAndiamo門川(2004年)、MSU FC(2007年)と変更した後、2008年に宮崎県リーグ1部へ昇格を果たす[1]

2010年にはMSU FCを九州リーグ昇格に導くが、2013年に県リーグに降格する[1]。これを契機に「JFA SPORTS MANAGERS COLLEGE」でスポーツマネジメントを学び、翌年再昇格した[1]

2015年、クラブ名をテゲバジャーロ宮崎に変更し代表に就任する[1]。テゲバジャーロ宮崎は2018年にJFL(日本フットボールリーグ)への昇格を果たす。また、同年の第73回国民体育大会福井県)において、宮崎県成人の部の監督を務め、3位に入賞した。

2020年に宮崎県サッカー協会専務理事に就任する。この年、テゲバジャーロ宮崎はJ3リーグへの参入が決定した。

2021年2月にテゲバジャーロ宮崎の取締役を退任し、ヴィアマテラス宮崎理事就任した。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h をかしのかんづめvol.4 お国自慢なら誰にも負けん。宮崎愛で草サッカーチームをJリーグへ導く熱き男 (2/2ページ) - をかしな編集部(2019年9月28日)2021年9月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g をかしのかんづめvol.4 お国自慢なら誰にも負けん。宮崎愛で草サッカーチームをJリーグへ導く熱き男 (1/2ページ) - をかしな編集部(2019年9月28日)2021年9月3日閲覧。
  3. ^ 「をかしのかんづめ」のインタビューで柳田はプロフェソール宮崎FCへの参加を「28歳の時」と述べているが、これは2001年となり、後述する門川クラブを引き受けた後となる。

外部リンク

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