水間此農夫
水間 此農夫(みずま しのぶ、1865年6月21日(慶応元年5月28日)[1] - 1922年(大正11年)3月18日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
編集宮崎県出身[2]。政治経済学を学ぶ。宮崎県会議員、所得税調査委員、破産管財人、宮崎新報社、宮崎林業各(株)社長、日州銀行取締役、日向水力電気会社、日州貯蓄銀行各監査役、宮崎不動産、宮崎製氷各(株)取締役、宮崎林産物販売組合長となる[2]。
1908年の第10回衆議院議員総選挙において宮崎県から立憲政友会公認で立候補して当選した[3]。つづく1912年の第11回衆議院議員総選挙で再選[4]。衆議院議員を2期務め、1915年の第12回衆議院議員総選挙で落選した[5]。大浦事件で1916年に懲役3か月、執行猶予3年、追徴金1100円の判決を受けた[6]。これにより韓国併合記念章、大礼記念章を褫奪された[7]。1922年に死去した。
脚注
編集参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。