永田 昌綽(ながた まさのぶ、1890年6月15日[1] - 1975年7月25日)は、日本の実業家。北海道拓殖銀行頭取を生え抜きとして初めて務めた。
島根県出身[1]。1917年に東京帝国大学を卒業し、北海道拓殖銀行に入行[1]。取締役を経て、1941年から1947年までに頭取を務めた[1]。
北海道曹達会長、北海道商工会議所顧問、北海道クラブ相談役などを歴任した[1]。
1960年に藍綬褒章を受章し、1971年4月に勲二等瑞宝章を受章した[1]。
1975年7月25日、腎不全のために死去[2]。85歳没。