窪田 繁雄(くぼた しげお、1902年明治35年〉4月30日[1][2] - 1969年昭和44年〉9月25日[3])は、日本政治家新潟県新津市(現・新潟市)長(2期)。

来歴

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新津町議会議員、同副議長を経て[1]1951年市制施行により新津市副議長となった[1]1953年新津市長選挙に立候補し当選する[1]。在任中は市の広報の創刊、金津小合両村の編入、新関村の一部を編入、市営住宅の造成、阿賀浦橋と市の東西を結ぶ跨線橋の開通、ゴミ焼却場と青年研修所の開館、枝肉センターの誘致と開業、心配事相談所の開設、新潟県立新津工業高等学校の誘致と開校、新潟県園芸試験場の発足などの出来事があった[1]。市長は2期務め、1961年に退任した。

脚注

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  1. ^ a b c d e 『日本の歴代市長』第2巻 79頁。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、165頁。
  3. ^ 『新津市史 通史編 下巻』(新津市、1994年)年表p.17

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。