今利龍雄
日本の陸軍軍人
今利 龍雄(いまり たつお、1889年(明治22年)10月5日[1] - 1955年(昭和30年)4月19日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
今利 龍雄 | |
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生誕 |
1889年10月5日 日本 東京府 |
死没 | 1955年4月19日(65歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1889年(明治22年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第23期卒業[1]。1936年(昭和11年)に独立野砲兵第14連隊長に就任し[2]、1937年(昭和12年)に陸軍砲兵大佐に進級した[2]。1938年(昭和13年)3月に第8国境守備第2地区隊砲兵隊長[2]、12月に阿城重砲兵連隊長を歴任[2]。1940年(昭和15年)8月に西部軍兵器部長に転じ[2]、12月に陸軍少将に進級した[2]。
1942年(昭和17年)に第1方面軍兵器部長[1]、1944年(昭和19年)6月に第8砲兵司令官を歴任[1]。同年10月に陸軍中将に進級し[2]、1945年(昭和20年)1月に第30軍隷下の第125師団長に親補される[1]。通化で終戦を迎えた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。