アドリアン・ハンネマン
アドリアン・ハンネマン(Adriaen Hanneman、 Adriaen Haddeman や Adryaen Hannevaとも、1604年ころ - 1671年7月11日(葬礼日))は、オランダの肖像画家である[1] 。イギリスやオランダで有力者の肖像画を描いた。
アドリアン・ハンネマン Adriaen Hanneman | |
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自画像 | |
生誕 |
1604年ころ デン・ハーグ |
死没 |
1671年7月11日(葬礼日) デン・ハーグ |
略歴
編集デン・ハーグで生まれた。アドリアン・ハンネマンの作とされる作品は1625年からのものであるが、1619年ころからハーグで働いていて、ハーグの肖像画家、ヤン・ファン・ラーフェステインとアントニー・ファン・ラーフェステインの兄弟の弟子であったと推定されている。
1626年から1638年の間はイギリスのロンドンで働き、1626年から1632年の間はデルフト生まれの画家ダニエル・マイテンス(c.1590-1647)の助手として働き、その後、有名な肖像画家アンソニー・ヴァン・ダイク(1599-1641)とも働いた。同時期にイギリスで働いていた肖像画家にはコーネリアス・ジョンソンもいた。
1638年にハーグに戻り活動した。1640年に師匠のヤン・ファン・ラーフェステインの娘と結婚した[2]。1645年にハーグの聖ルカ組合の会長を務めるが、1656年に聖ルカ組合から独立し、画家の利益を守るために結成された「Confrérie Pictura(絵の兄弟信心会)」の創立メンバーになった。
ハンネマンの弟子にはJeremias van der Eyden、 Reinier de la Haye、 Marcus van der Linde、 Gijsbrecht van Lyberge、 Simon du Parcq、 Bernardus van der Vechte、 Jan Jansz. Westerbaen (II)、 Cornelis Wildtといった画家がいた。
作品
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Cornelis van Aerssen van Sommelsdijck アムステルダム国立美術館蔵
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詩人、作曲家のConstantijn Huygensの家族
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ヨハン・デ・ウィットの妻Wendela Bicker (1635–1668), 1659
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William III when Prince of Orange