中道益平
日本の実業家
中道 益平 (なかみち ますへい、1907年5月29日 - 1978年5月18日)は、日本の障害者福祉活動家。光道園創設者。
略歴
編集- 1907年(明治40年)5月29日、福井県小浜市で中道元次郎の三男として生まれる[1]。
- 1920年(大正9年)3月 - 小浜小学校卒業。
- 1922年(大正11年) - 京都の水産会社に勤める[2]。
- 1923年(大正12年) - 京都キリスト教中学(定時制専門校)に入学[3]。
- 1925年(大正14年) - 右眼を失明、会社の合併問題により百貨店に転職し、学校は中退[4]。
- 1933年(昭和8年) - 網膜剥離により両眼を失明[5]。
- 1938年(昭和13年)3月 - 福井県立盲学校中学部を卒業[5]。
- 1939年(昭和14年)2月 - 福井駅前に鍼灸院を開く[6]
- 1948年(昭和23年) - ヘレン・ケラー来日の際、福井駅にて講演を要請し、福井駅頭での講演を実現させる[7]。
- 1951年(昭和26年)4月 - 福井県身体障害者福祉団体連合会副会長、福井県盲人協会会長に就任[8]。
- 1957年(昭和32年)10月 - 身体障害者更生施設「光道園」開設、理事長兼園長。
- 1966年(昭和41年)4月 - 重度身体障害者収容施設「ライトセンター」開設、常任理事、会長。
- 1967年(昭和42年)10月 - 藍綬褒章を受章[9]。
- 1977年(昭和52年) - 小浜小学校に中道文庫を寄贈。
- 1978年(昭和53年)
脚注
編集- ^ 『生きる : 中道益平のあゆみ』p.18。
- ^ 『生きる : 中道益平のあゆみ』p.32。
- ^ 『生きる : 中道益平のあゆみ』p.33。
- ^ 『生きる : 中道益平のあゆみ』p.33-36。
- ^ a b “創設者紹介 創設者・故中道益平氏について”. 社会福祉法人 光道園. 2024年9月19日閲覧。
- ^ 『人と業績 : 盲先覚者の偉業をたずねて』p.156。
- ^ 『生きる : 中道益平のあゆみ』p.55。
- ^ 『生きる : 中道益平のあゆみ』p.194-195。
- ^ 『生きる : 中道益平のあゆみ』p.196。
- ^ 『人と業績 : 盲先覚者の偉業をたずねて』p.167。
- ^ 『人と業績 : 盲先覚者の偉業をたずねて』p.168。
参考文献
編集- 福井新聞[要ページ番号]
- 淵辺信俊 ほか『生きる : 中道益平のあゆみ』光道園、1977年
- 川野楠己『人と業績 : 盲先覚者の偉業をたずねて』日本盲人福祉研究会、1984年