岡本廣太郎

三河国碧海郡刈谷出身の酒造家

岡本 廣太郎(おかもと こうたろう、岡本広太郎、1867年1月13日(慶応2年12月8日) - 1923年(大正12年)3月29日)は、三河国碧海郡刈谷(現愛知県刈谷市)出身の酒造家刈谷町長

岡本 廣太郎
おかもと こうたろう
刈谷町立刈谷図書館開館時の記念写真
(前列右端が岡本)
生年月日 1867年1月13日
出生地 三河国碧海郡刈谷
(現愛知県刈谷市
没年月日 1923年3月29日(56歳)
前職 酒造家

在任期間 1915年6月 - 1919年9月
在任期間 1921年7月 - 1923年1月
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経歴

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慶応2年12月8日(1867年1月13日)、三河国碧海郡刈谷(現愛知県刈谷市)に生まれた[1]。父は岡本瀧三郎。岡本家は庄屋を務めていた家であり、酒造業を生業としていた[1]

刈谷町長

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旧制刈谷中学校(1928年)

1911年(明治44年)9月から1912年(大正元年)7月まで刈谷町会議員を務めた[2][3]。1915年(大正4年)6月には刈谷町長に推されて就任した[1]。1919年(大正8年)9月には5代目藤井清七が岡本の後任の刈谷町長に就任したが、1921年(大正10年)7月には岡本が再び刈谷町長に就任した[2][3]

1915年(大正4年)11月23日には刈谷町立刈谷図書館(現・刈谷市中央図書館)が創立し、記念写真には高須鉈吉(亀城尋常高等小学校長)、宍戸俊治(医師であり村上文庫の寄贈者)、5代目藤井清七(実業家であり村上文庫の寄贈者、後の刈谷町長)、岡本廣太郎、井野直治(刈谷町会議員、後の刈谷町長)、森銑三(村上文庫目録の製作者、後の書誌学者)、三宅史が収まっている。

1919年(大正8年)には旧制刈谷中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)が開校し、1921年(大正10年)には旧制刈谷高等女学校(現・愛知県立刈谷北高等学校)が開校しているが、これらの学校の設立には岡本の貢献が大きい[1][2][3]。また1923年(大正12年)には岡本らの誘致の結果、豊田佐吉によって豊田紡織会社刈谷試験工場(現・トヨタ紡織刈谷工場)が設立されている[1][2][3]

死去

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墓がある正覚寺

岡本は1923年(大正12年)1月まで刈谷町長を務め、同年3月29日に死去した[1]。墓所は刈谷市寺横町正覚寺である[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『新編 三河知名人士録』尾三郷土史料調査会、1939年、p.626
  2. ^ a b c d 『かりや市民だより』刈谷市、2005年12月15日号
  3. ^ a b c d 村上文庫と図書館の創設 刈谷市

参考文献

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  • 『新編 三河知名人士録』尾三郷土史料調査会、1939年