阿部 隼太 (あべ じゅんた、生没年不詳)は、新選組隊士。隼多、集多とも。

来歴

編集

江戸の出身で、阿部弥七郎の子として生まれる。

慶応3年9月(1867年9 - 10月)に上洛し、入隊する。翌慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いを経て、江戸に帰還する。

同年8月(1868年10月)の母成峠の戦いで負傷する。翌明治2年5月(1869年6月)、箱館戦争の後に弁天台場で降伏。弘前の薬王院に収容された。以後の消息は不明。