石坂友太郎

日本の医学者

石坂 友太郎(いしざか ともたろう、1873年明治6年)1月6日 - 1963年(昭和38年)4月29日[1])は、日本医学者九州帝国大学医学部教授。九州帝国大学名誉教授。ヘビ毒の研究で知られ、特にハブ毒の薬理学的研究については、1963年の時点で石坂以外には研究例がなかったと報告されている[2]

石坂 友太郎
人物情報
生誕 (1873-01-06) 1873年1月6日
日本の旗 日本金沢
死没 (1963-04-29) 1963年4月29日(90歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 薬理学
研究機関 九州帝国大学
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経歴

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教育者であり政治家だった石坂専之介の長男として加賀国(現・石川県)で生まれる。

1891年9月、第四高等中学校予科に入学し、1894年7月に卒業すると、第一高等学校独逸専修科に進む。1897年7月に一高を卒業して東京帝国大学医科大学に入学した。

1901年12月に東京帝国大学医科大学を卒業した。卒業直後の1902年1月、薬物学教室の高橋順太郎教授のもとで助手として採用され、同2月に大学院に進んだ。1903年4月に、東京帝国大学医科大学助教授に任じられる。

1905年8月より薬物学研究のため、3年間ドイツに留学した。1908年1月に帰国して、京都帝国大学福岡医科大学(1911年に九州帝国大学医科大学となる)薬理学教室の第2代教授に就任した[3]。1933年に九州帝国大学を退官した[3]

家族・親族

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  • 父:石坂専之介 衆議院議員、富山県会議長
  • 弟・ 石坂伸吉(金沢医科大学長)
  • 妻・居賀 高橋順太郎(東京帝国大学医科大学教授)の長女
  • 長男:石坂正雄
  • 長女・愛
  • 次女・郁
  • 三女・京
  • 次男・石坂道雄

主な論文

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  • 漢薬苦参の成分「マトリン」の生理的作用に就いて
  • 「 スパルティン」中毒の死亡に就いて(武藤喜一郎共著)
  • 「ウスニン」酸:の薬物的作用
  • 飯匙蛇毒の研究

(以上、すべてドイツ語)

脚注

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  1. ^ 「石坂友太郎名誉教授の御逝去を悼む」(『九大医報』33巻2号、1963年6月、56頁)
  2. ^ 貫文三郎、植木昭和、古川達雄、大和正利「ヘビ毒(ハブ毒、マムシ毒、コブラ毒)についての薬理学的研究」『日本薬理学雑誌』第59巻第5号、日本薬理学会、1963年、323-344頁。  同論文の末尾に「本研究を企図するに至った貴重な蛇毒資料を御寄贈頂いた故九州大学名誉教授石坂友太郎先生に深甚の謝意を表します」という文言がある。
  3. ^ a b 九州大学百年史編集委員会『九州大学百年史 第5巻 : 部局史編 Ⅱ』 5巻、九州大学、2015年。doi:10.15017/1547170hdl:2324/1547170 

外部リンク

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