ヤン・バプティスト・ウェーニクス
ヤン・バプティスト・ウェーニクス(Jan Baptist Weenix、Jan Baptiste Weeninxとも[1]、1621年 - 1659年ころ)は、17世紀オランダの画家である。比較的短い生涯であったが多様な多くの作品を残した。作品には遺跡や人物のいるイタリア風風景画や人物画、静物画を描いた。
ヤン・バプティスト・ウェーニクス Jan Baptist Weenix | |
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自画像とされるペン画 | |
生誕 |
1621年 アムステルダム |
死没 |
1659年ころ Vleuten |
略歴
編集アムステルダムで生まれた。アムステルダムの港近くで建築家の息子に生まれた。18世紀初めに画家の伝記を出版したアルノルト・ホウブラーケン(1660-1719)がウェーニクスの息子に聞いた話として、ウェーニクスは病気のためにうまく話せず、本を読むことが好きな子供であったので、母親が本屋の徒弟にしたが、商売にはむかず絵ばかり描いていたとと伝えている。
姉の義理の兄弟になった風景画家のヤン・ミケル(Jan Micker: 1598-1664)から絵を学んだ後、ユトレヒトに移り、アブラハム・ブルーマールト(1566-1651)の弟子になり、その後アムステルダムに戻ってニコラース・ムーヤールト(c.1592-1655)のもとで修行した。i
1639年に画家、ヒリス・ドンデクーテル(c.1575-1638)の娘と結婚した[2]。1643年にムーヤールトのもとでともに修行したニコラース・ベルヘム(1620-1683)とローマに旅した。ローマのオランダやフランドル出身の画家達のグループ、「Bentvueghels」のメンバーとなり、「Bentvueghels」では互いを仇名で呼び合ったので、ウェーニクスは「Ratel(ガラガラ声のような意味)」と呼ばれた。4年間、ローマに滞在しローマ教皇インノケンティウス10世のために働いた。
オランダに戻った後、1649年にユトレヒトの聖ルカ組合に親方として登録され、この頃、哲学者のルネ・デカルトの肖像画を残している。
義理の兄弟のヘイスベルト・ドンデクーテル(Gijsbert d'Hondecoeter:c.1604–1653)が亡くなった後、甥のメルヒオール・ドンデクーテル と自分の息子ヤン・ウェーニクス(Jan Weenix: 1641/1649–1719)に絵を教えた。1656年にユトレヒト近郊のVleutenに移り、1659年ころそこで亡くなったと推定されている[3]。
作品
編集-
ルネ・デカルトの肖像画 (1647/1649)
ユトレヒト中央博物館 -
古代遺跡
ブダペスト美術館 -
羊飼いの姿の少女 (1650)
ピカルディー美術館
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イタリアの港の風景(1949)
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オリエントの人物の旅立ち (1647/1650)
ルーブル美術館 -
ある家族の集団肖像画 (1650/1659)
ユトレヒト中央博物館
脚注
編集参考文献
編集- Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Weenix, Jan Baptist". Encyclopædia Britannica. Vol. 28 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 467.
- Anke A. Van Wagenberg-Ter Hoeven (2018) Jan Baptist Weenix & Jan Weenix: The Paintings, Zwolle: Waanders & De Kunst. ISBN 9789462621596